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【千葉】ラッシュ裁判 控訴趣意書3―裁量権・関税法・量刑

ラッシュ(亜硝酸イソブチル)を海外から個人輸入しようとして、医薬品医療機器等法並びに関税法違反として起訴され、2020(令和2)年6月18日に千葉地方裁判所で「懲役1年2月 執行猶予3年」 の判決が言い渡された【千葉】「ラッシュ裁判」は、以下のとおり、東京高等裁判所で控訴審の公判が開かれました。

 

日時 2021(令和3)年4月15日(木)午前11時 

場所 🔊東京高等裁判所 8階 805号法廷

 

内容 弁護側 控訴趣意書に基づく弁論

   検察側 答弁書に基づく弁論

   弁護側 証拠請求

🔊【千葉】ラッシュ裁判 東京高裁4月15日公判

 

弁護人は、2020(令和2)年11月に、「控訴趣意書」を提出し、原判決(千葉地裁判決)には、法令の適用の誤り、事実誤認、量刑不当が含まれているため、破棄されるべき旨の主張を行いました。

2021年1月には、それと連動する「事実取調請求書」を提出し、新しい書証を請求しました。

🔊 【千葉】ラッシュ裁判 東京高裁4月15日公判報告

 

ここでは、控訴趣意書の全文を分割して掲載します。

🔊【千葉】ラッシュ裁判 控訴趣意書1―指定薬物制度の運用・解釈

🔊【千葉】ラッシュ裁判 控訴趣意書2ー「精神毒性」「保健衛生上の危害」


次回の判決公判は、以下に決定しました。

日時 2021(令和3)年6月22日火曜 11時 

場所 🔊東京高等裁判所 8階 805号法廷

内容  判決言い渡し

 

ぜひ多くのかたの傍聴をお待ちしております。

🔊【千葉】ラッシュ裁判判決の概要

🔊裁判(千葉) 


控訴趣意書 (その3) 

 

第7 裁量権逸脱乱用の基準(刑訴法380条) 

1 原判決

 原判決は、「当該指定に関する裁判所の審理、判断は、厚労省による当該指定に法の趣旨を逸脱するような不合理な点があるか否かという観点から行われるべきである。例えば、仮に①当該指定に用いられた審査基準が不合理である、②当該指定の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により当該指定が全く事実の基礎を欠く、③厚労省が審議会の意見を無視するなど、当該指定の判断過程に看過しがたい過誤・欠落がある、④その他当該指定が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかである、などの特段の事情が認められる場合には(原判決15頁)」裁量権の逸脱濫用として、本件指定が違法であるとの基準を採用した。しかし、かかる基準は以下の点で問題がある。

 そもそも、裁判所が採用する裁量権の逸脱濫用を判断する基準は、近年変化しており、事案に応じて審査基準が変わっている。平成18年には「重視すべきでない考慮要素を重視するなど、考慮した事項に対する評価が明らかに合理性を欠いており、他方、当然考慮すべき事項を十分考慮しておらず」と述べ,考慮事項審査に加え、各考慮事項の重み付け(法律の趣旨等に基づき、各考慮事項の中でも重視すべき事項をより重視して審査する手法)を検討していることが窺われる(最判平成18年2月7日民集60巻2号401頁)。すなわち、裁判所が採用する審査基準の主流は、特別の事情の存否を判断する審査方法よりも、考慮事項(重み付けも行う審査基準)を審査する基準方法なのである。

 

2 定立するべき基準

 本件に適用するべき審査基準は、以下のとおりである。すなわち、厚生労働大臣が亜硝酸イソブチルを「指定薬物」として指定するにあたっては、①「精神毒性の有無、内容及び程度」、②「保健衛生上の危害の有無、内容及び程度」、③「それによって生ずる使用者の健康への影響の有無、内容及び程度」、④「社会における濫用の実態や各種の実害の発生状況」、⑤「当該薬物に関する調査研究及び文献等の調査状況」、⑥「他の物質の指定状況」、⑦「代替手段の確保」、⑧「亜硝酸イソブチルの使用方法」、⑨「当該指定が社会に与える影響」、⑩「指定によって被る不利益」などの考慮事項を吟味・検討したうえで、指定薬物として指定してよいかどうかを判断しなければならない。原判決は、誤った基準を定立して裁量権の逸脱乱用がないと判断しているところ、同基準の定立はおろか、裁量権の逸脱乱用がないとした点については判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるというべきである。

 

3 本件について 

(1)①「精神毒性の有無,内容及び程度」、②「保健衛生上の危害の有無,内容及び程度」

 医薬品医療機器等法は,精神毒性を有する蓋然性が高いこと及び人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある物であることを指定行為の構成要件として掲げている。かかる要件の趣旨は、精神毒性を有する蓋然性が高い薬物の使用によって、使用者の健康被害の発生や他者に対する危害発生を防止する点にあるところ、精神毒性及び保健衛生上の危害の程度が高ければ高い程、健康被害や他者に対する危害発生を防止する必要性が生じる。したがって,指定に当たっては,精神毒性の有無・保健衛生上の危害の有無のみならず、精神毒性の程度及び保健衛生上の危害の程度を検討し、程度が高ければ高いほど、指定を行うべき薬物といえるので、生ずる精神毒性の強さ・高さ、発生する保健衛生上の危害の高さなどを特に重視したうえで指定行為の判断を行わねばならない。

 本件においては、亜硝酸イソブチルに精神毒性が見られないことも保健衛生上の危害がほとんどないことも弁論要旨及び本書面にて、既に論じている。さらに、国内外の文献を調査することは当然として、それに留まらず法規範の定める要件を満たすかどうかについて、仮説を立てて、その仮説を検証するために、臨床事例や動物実験などの結果を踏まえて判断する必要がある。亜硝酸イソブチルについては、指定当時、少なくとも我が国においては、このような研究をしていた研究者はおらず、そうした研究に基づく原著論文も発見できていない。その点は伊藤証人も認めるところである(伊藤証人28頁)。覚せい剤や麻薬類やその他の危険ドラッグ等の依存性のある他の薬物で報告されているような健康上の被害は報告されていない(弁10号証~弁17号証)。

 厚労省は「指定薬物」制度導入当時、「指定薬物」を「麻薬類似化学物質」「幻覚植物成分」「亜硝酸エステル類」の3分類で提示しており、亜硝酸イソブチルを含む「亜硝酸エステル類」が、精神毒性が明確な「麻薬類似化学物質」「幻覚植物成分」と相違のあることを認識していた(弁68号証、甲30号証の別紙2)。厚労省自身も、亜硝酸エステル類が「麻薬類似化学物質」「幻覚植物成分」に比べ、精神毒性が弱いことを自認していたのである。

 したがって、亜硝酸イソブチルは、精神毒性及び保健衛生上の程度が低い薬物であるにもかかわらず、適切な臨床事例や動物実験などの科学的根拠が不十分なまま、指定された薬物といえる。

 

(2)③「それによって生ずる使用者の健康への影響の有無、内容及び程度」

 前述したように、亜硝酸イソブチルの使用者が、依存症として通院しなければならないなどの症例も見られず、亜硝酸イソブチル使用者の健康の影響は極めて低いものと考えられる。 

 

(3)④「社会における濫用の実態や各種の実害の発生状況」

 亜硝酸イソブチルの効果時間は、数十秒程度であり(梅野証人1頁)、それを使用した者が精神に異常を来たし、交通事故を引き起こしたり、他人を殺傷したりする等、社会的な実害を及ぼす事例は報告されていない(本書面第6の2(2)(3)参照)。前述したように、少なくとも我が国においては、指定行為時、亜硝酸イソブチルの研究に基づく原著論文や調査結果がなく、亜硝酸イソブチルが社会において実害を及ぼしているという事態も指摘できない。また、弁75号証、弁76号証のアンケートでは、116名の回答のうち、90%がラッシュを自分自身又は周りで使ったことがあるという回答であった。このアンケートでは、人体に対する重大な症状についての回答は2件しかなく(被告人質問16頁17行目~17頁2行目)(弁75号証の10頁)、また、ラッシュを利用して何か事件や事故は起こっていないという回答がほとんどでもあった(被告人質問18頁11行目)(弁76号証)。

 

(4)⑤「当該薬物に関する調査研究及び文献等の調査状況」

 審議会における亜硝酸イソブチルの指定審議過程では、原著論文(甲31号証)自体は示されずに、厚労省の事務局による誤導の懸念のある一覧表資料の提示のみによって、個別議論のないまま、指定行為が行われた。しかも原著論文では、亜硝酸イソブチルに中枢神経系の作用があることを根拠に示して述べていない。また、それを補う国内の臨床事例や実験研究、文献調査もなされた形跡は認められない。亜硝酸イソブチルを指定薬物として規制する必要性があるかは極めて疑わしいのである。

 

(5)⑥「他の物質の指定状況」

 精神毒性及び保健衛生上の危害が十分に存在する薬物のなかには、指定薬物として指定されていない薬物が多数存在するにもかかわらず、規制の必要性が乏しい亜硝酸イソブチルだけが指定されている。アルコールやタバコは、亜硝酸イソブチルより有害性は高いにもかかわらず、指定薬物には指定されていない。ランセット論文(弁21号証)によれば、20物質の平均有害性スコアにおいて、ヘロインが1位、コカインが2位、アルコールが5位、タバコが9位、亜硝酸エステルは19位、カートが最下位という結果であり、アルコールやタバコは、亜硝酸イソブチルよりも、有害性が高いことが証明されている。本論は、イギリスの研究者による論文で、20種類の薬物の有害性評価を9つの指標を用いて科学的根拠に基づいて分類したものであり、信用性が高い証拠の一つである。この点、江原証人はアルコールやタバコは、害悪があると指摘しつつも、社会的受容性があり、他の産業へ影響するという理由から、指定薬物に指定していないと証言した(江原証人69頁)。

 江原証言のように、有害性が高いアルコールやたばこについては、社会的受容性・歴史的な経緯、他の産業への影響等も加味して、指定をするべきか否かを判断するべきであり、この点を積極的に争うわけではないが、亜硝酸イソブチルのように、アルコールやたばこほどの有害性がないことが明らかな物については、アルコール等と同一の基準を設けるのではなく(同一の基準を設けてしまうと、社会的受容性がない物質や他の産業へ影響しない物質は全て指定薬物として指定することになりかねない)、その物質の有害性が低ければ低いほど、有害性以外の考慮事項の重み付けは、実際上、低くなるべきである。また,2000年代前半は、亜硝酸イソブチル(ラッシュ)は、非常に容易に入手でき、使用されていたものであり、「社会的受容性がない」と評価することもできない。むしろ海外では、本件論文(甲31号証及び甲32号証)やオーストラリアの提言(弁73号証及び弁74号証)において、1970年代から使用されていたとされ,長い社会的受容性があったことが示されている。日本国内においても、根強い社会的受容性があることは,「LASH調査」(弁19号証)、関税摘発数(弁60号証~弁62号証)、アンケート(弁75号証、弁76号証)からも明らかである。

 

(6)⑦「他の代替手段がありえたか」

 アルコールやたばこは、未成年者飲酒禁止法・未成年者喫煙禁止法などのより軽微な別の方法で規制しており、指定薬物として一律禁止されていない。また、他の法律の規制をみても、様々な規制方法があるところ、例えば、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律では、感染症を一類、二類、三類、四類、五類、新型インフルエンザ等に分類し、感染者の身体への危険度、感染経路、他者への伝播性等によって、規制の在り方をきめ細やかに定めている。このような法律の規定をみると、ある薬物を指定薬物として指定する場合においても、一律に規制するのではなく、有害性の程度等に応じた規制の均衡を考えて、指導、警告、注意といった他の代替手段を講じるべきであり、亜硝酸イソブチルについては一律に規制しており、他の代替手段をまるで検討していないことが窺われる。

 

(7)⑧「亜硝酸イソブチルの使用方法」

 亜硝酸イソブチルは蒸気を吸引する形で使用する物で(江原証人22頁,梅野証人1頁)、ラッシュは、専ら性行為時に快感を得るために使用する場合が多い。この点、日本特有の価値観として、性行為の話はタブー視される傾向にあるが、よりよい性行為を行うために、例えば、アロマを使用する人もいるだろうし(被告人質問38頁3行目)、精力剤やマカドリンク、ローション、潤滑ゼリー等を使用する人も存在する。ローションや潤滑ゼリーは香りがついていたり、味がして食べることができる商品もある。また塗ると体が熱くなるローションも購入することができる。このように性行為時に快感を高めるための商品は多く販売され、様々な人が当該商品を利用している実態がある。ラッシュの使用も性行為時に快感を得るための一つの方法にすぎない。亜硝酸イソブチルが性行為時に使用されるからといって、日本特有の価値観でタブーな物質であると決めつけるのではなく、性行為時に合法的に使用されている商品と、どの点が異なり、指定されたのかを適切に見極める必要がある。 

 

(8)⑨「当該指定が社会に与える影響」

 我が国においては、指定行為時、亜硝酸イソブチルについての原著論文や保健衛生上の危害に関する調査研究は行われておらず、それ故、亜硝酸イソブチルの指定が社会にどのような影響を与えるかについても十分な考慮がなされていない。弁50号証の205頁、弁51号証の20頁、弁53号証の15頁によれば、亜硝酸イソブチル(ラッシュ)を禁制化したことによって、より入手が容易な覚せい剤等へ移行した傾向すら指摘されており、より社会的害悪が増大したといえる。

 

(9)⑩「指定によって被る不利益」

 被告人を初めとする数名が、指定された亜硝酸イソブチルを使用、輸入、製造等したことで、多くの不利益を被っている。 

ア 被告人の場合

 被告人は,上記の通り,〇〇市にある市役所勤務を開始し,〇〇市内の図書館勤務を行い,また地域の文学や映像文化を紹介する業務に携わり,〇〇市の市民のために身を投じていた。しかし、亜硝酸イソブチルの輸入で捜査が及んで以来、被告人の生活は一変してしまった。○○市役所では丁寧な審理がなく、わずか1週間足らずの審理で(被告人質問8頁11行目)、亜硝酸イソブチルの人体への有害性が吟味検討されることもなく(被告人質問9頁4行目)、一方的に懲戒免職が言い渡された。1000万近い退職金は当然に支払われず(被告人質問12頁14行目)、毎月の収入の途が絶たれてしまった(被告人質問11頁1行目)。亜硝酸イソブチルがほとんど有害でないにもかかわらず、周囲からは、「違法薬物」を輸入したということで一方的に連絡を断ち切られ、被告人が精を出していた地域の文化活動も自粛せざるを得なかった。もともと精神が不安定であったにもかかわらず、より精神的に不安定になり、「うつ状態」の診断を受け、現在も療養中である。

イ 元NHKアナウンサーの場合(弁71号証、被告人質問15頁4行目以降)

 2016年、亜硝酸イソブチルに似た合法物を作成できるというキットを購入し、作成したところ、後に、合成物が亜硝酸イソブチルであったことが判明し、亜硝酸イソブチルの製造及び所持で起訴され、罰金刑を受けた。NHKに勤めていたこともあり、実名報道がなされ、NHKを解雇された後、うつ病を発症した。

ウ 福岡県在住の元自衛官(被告人質問15頁下から2行目)

 亜硝酸イソブチルに似た合法物を作成できるというキットを購入し、逮捕され、自衛隊を懲戒免職された。実名報道され、精神的にも不安定な状況に追い込まれた。今でも福岡に住んでおり、相談相手がおらず、孤立して不安定な生活を送っている。 

エ 「指定によって被る不利益」のまとめ

 このように、指定によって被る不利益は、単に刑事罰が科せられてしまうのみならず、職を失い、生活を失い、病を発症してしまう等、人生が180度変化するほどの不利益を被る。危険性が少ない亜硝酸イソブチルを規制することによって、被る不利益は莫大であり、社会通念上著しく不合理な指定である。これらのことからすれば、仮に要件1乃至3がある場合であっても、危険性が少ない亜硝酸イソブチルだけが他の薬物に比べて一律に禁止されている状態になっており(比例原則違反)、平成19年2月28日の本件指定行為をしたことによって社会通念上著しく不合理な結果となっている。本件指定行為は裁量権を逸脱濫用して行われたといわざるを得ないものである。

 それにもかかわらず、原判決は裁量権の逸脱乱用があるとして結論づけたのであり、この点については、判決に影響を及ぼすほどの事実誤認があるというほかない。 


第8 関税法の「輸入してはならない貨物」に指定薬物が入ったこと

1 原判決

 原判決は、「関税法上、『輸入してはならない貨物』に何を含めるかについて、同法を所管しない厚労省にそのような裁量があるとは観念ができないこと、また医療品医療危機等法上の要件を満たすものとして亜硝酸イソブチルを指定したにもかかわらず、上記要件と直接関係がない本件関税法改正を理由にこれを「指定薬物」から外すような義務が課されていると解することはできない」(原判決16頁)と述べている。また、「規制当局としては、精神毒性及び保健衛生上の危機などの規制根拠となる事情が継続しているか、不断に見直すべきことは当然であって、これを怠れば、その不作為が裁量逸脱となることはあり得ると思われるが、本件指定後、そのような状況変化があったとも認められない(原判決16頁)」とも述べる。

 

2 指定薬物制度の趣旨と法改正による「指定薬物」をめぐる状況変化

 指定薬物制度の趣旨は、麻薬取締法など現行法では迅速かつ広範な規制が困難であったために、身体に危険性を有する物質をすみやかに省令で指定して簡易迅速に取り締まることができるというものであった。法定刑が軽かったこと、当初は使用や所持が禁止されていなかったことは、かかる趣旨の顕れである。だからこそ、指定後も試験や調査をして、その結果、麻薬に指定できるものは麻薬に指定して所持等も禁止できるようにするという議論を行ったのである。

 平成25年から平成27年にかけて、指定薬物制度が相次いで改正されるに至った。その理由は違法ドラッグの有毒性が高まり、違法ドラッグによる他害事例 (死亡事故)が相次いだからである。かかる悲惨な事故を受けた世論に押される形で、指定薬物は、単純使用・所持が禁止されるに至り、最終的には、輸入行為についても関税法上の法定刑(10年以下の懲役等)の対象となるなど急速な厳罰化が進んだ。 

 この段階において、指定薬物は「覚せい剤や大麻と同等以上の作用を持つ」物質と明確化されるに至ったのである(平成26年11月19日参院附帯決議)。平成26年改正では、2条15項自体が改正されて、「精神毒性」の用語が明記されている。 まさに、名実ともに、指定薬物の定義が変更されたのである。

 したがって、平成27年3月の関税法改正の段階においては、指定薬物は、「覚せい剤や大麻と同等以上の精神毒性及び保健衛生上の危害を有する物質」であるという解するべきであり、亜硝酸イソブチルが該当する物質であるか判断し、該当しないのであれば、外すべき責務があった。

 

3 「指定薬物」を不断に見直すことの義務

 そもそも、指定薬物制度創設時の議論及び当時の附帯決議において、「指定薬物に指定した物質については、すみやかに動物試験等の調査研究を実施して、麻薬等に指定するかの判断を行う」とされていた。さらに、平成26年法第122号による薬機法の際、薬機法には第76 条の12として、「国は、指定薬物等の薬物の濫用の防止及び取締りに資する調査研究の推進に努めるものとする。」と明記された。したがって、指定薬物に指定後も、放置して良いということではなく、当該薬物の薬理作用等を調査・研究する義務があるのである。

 このような指定薬物の制度変更にもかかわらず、厚生労働大臣は、平成 19年に本件各物質を指定したあとは、調査研究を一切行っていない。 韓国では一応、ラットの実験をしたことになっているが、厚生労働省ではこのようなレベルの実験・研究すらなされていないのであり、 明らかに、平成18年時の国会附帯決議及び薬機法76条の12に違反している状態である。

 一方、平成19年の制定後、指定薬物令は少なくとも60回以上改正されている。したがって、厚生労働大臣において、指定薬物の薬理作用や実態研究を進めて、本件各物質について、指定から除外することも明らかに可能であった。ことに量刑が重くなった点を考えると、指定見直しの妥当性の検証を怠ったことは看過できない。 

 

4 ラッシュ使用と規制の趨勢

 関税法の改正を受けて、税関での「関税法違反」での不正薬物の摘発件数は、以下のとおりである。( )内は指定薬物の件数である。

・平成27年 1896件 (1462件 うち9割がラッシュ 国際郵便が99%)[ https://www.customs.go.jp/mizugiwa/mitsuyu/report2015/27haku01.pdf]

・平成28年 892件 (477件 うち7割がラッシュ 国際郵便が9割)[ https://www.customs.go.jp/mizugiwa/mitsuyu/report2016/28haku01.pdf][ https://rushcontrol.jimdofree.com/2018/09/03/%E9%96%A2%E7%A8%8E%E6%B3%95%E6%94%B9%E6%AD%A3%E3%81%A7%E5%A4%9A%E3%81%8F%E3%81%AE%E6%91%98%E7%99%BA%E3%81%8C/]

 関税法の改正で、それまで水面下で輸入されていたラッシュが一挙に表面化したことが分かる。本来、麻薬又は向精神薬類似物質を規制すべきはずの税関業務が、害悪のほとんどないラッシュの規制に手を割かれていることは、行政効果としても、弊害を招いている。

 これはまた、指定薬物制度導入当時に薬事法ですでに輸入を刑罰化していたにもかかわらず実効性がなく、その間、ラッシュが国内で相当数使用されていたことを想定させる。国が指定薬物制度導入当時から、亜硝酸イソブチルに「保健衛生上の危害」を認めていたのであれば、薬事法の段階で「輸入」規制において、もっと実効性を持たせても然るべきだった。しかし、そうして来なかったのは、輸入の罰則化を実効させるほどの保健衛生上の危害の実態がなく、社会的必要性がなかったことの証左といえる。

 弁9号証では、「現時点で麻薬相当の有害性が立証されたといえない違法ドラッグについて、販売等を予定しない個人的な使用のための所持等までも規制することは、有害性の程度に応じた規制の均衡という観点から、基本的に困難ではないかとの指摘がある。(略)流通段階における規制・取締りの強化を図ることによって、興味本位や無思慮、あるいは無規範な考えによる違法ドラッグの入手や使用は相当程度抑制される可能性が高いとの意見もあった。(略)よって、本提言を踏まえた違法ドラッグ対策の帰趨や成果、また、それら対策が講じられた結果としての違法ドラッグの乱用実態等を十分に把握・検証した上で、麻向法における麻薬や向精神薬の規制とのバランス等を含め、今後検討すべき課題でないかと考えられる。」とある。確かに指定薬物の輸入は、指定薬物制度導入時から法制化されたものであるが、「流通段階のおける規制・取締りの強化」とある。「販売等を予定しない個人的な使用のための所持」まで規制することに抑制的だったことを考えると、個人使用のための輸入についても、抑制的な運用が想定されていたと見做される。

 また、第2の3で述べたように、人体に軽微な影響しか存在しない薬物を禁止したことによって、入手が容易な、より人体に有害な薬物に移行したことなどが指摘されており(弁53号証の15頁、弁50号証、弁51号証の20頁)、亜硝酸イソブチルを指定したことによる、社会的害悪性が増大している。現指定薬物部会のメンバーでもある松本俊彦医師も、「RUSHは危険ドラッグ規制の時期のどさくさで指定薬物にされてしまった。コロナもそうだと思うけど、おかしいということに気づかなくなっている。RUSHの時は、私たち専門家もだらしなかったと思う。声をあげるべきだったと反省している。間違いは間違いと。優生保護法の例や、アパルトヘイトやホロコースト、国が合法的に間違いを犯すこともあるんです。(弁80号証)」と指摘している。

 海外においても、2016年のイギリスでラッシュ規制が実施されなかったこと(ACMD)、2020年のオーストラリアでラッシュの処方薬化が図られたこと,海外でラッシュの個人罰則化が図られている国は認められないこと(弁82号証)、ラッシュは国連条約の規制薬物になっていないこと(弁82号証)、世界の薬物政策は「厳罰化」から「非犯罪化」の「ハームリダクション」が主流になっていること(弁54号証の9頁)などは、厚労省としても容易に調査できることである。それを怠ったまま関税法改正が行われたことは違法であり、原判決が「状況変化があったとも認められない」とすることは事実に誤りがある。

 

5 控訴事由

 よって、厚生労働大臣が、少なくとも関税法改正の際、亜硝酸イソブチルを指定薬物から除外すべきであったにもかかわらずそれをしなかったことは違法である。原判決は、「医薬品・医療機器等法上の要件を満たすものとして亜硝酸イソブチルを指定したにもかかわらず、上記要件と直接関係がない本件関税法改正を理由にこれを『指定薬物』から外すような義務が課されていると解することもできない(原判決16頁)」とするが、本項(第8)で述べているように、関税法の改正を機に、亜硝酸イソブチルを使用等することによって極めて重い刑罰が科されることになったというのであるから、当然に、それを契機として見直すべき義務があったといわざるを得ない。原判決は、上記義務を証拠から導けるにもかかわらず、証拠の評価を誤ったのであり、重大な事実誤認が存在する。

 なお、国家賠償法に係る事案ではあるが、大臣の規制権限不行使が違法とされた事例として、最判平成16年4月27日民集58巻4号1032 頁、最判平成16年10月15日民集58巻7号1802頁、最判平成2 6年10月9日民集68巻8号799頁がある。


第9 量刑不当(刑訴法381条)

1 量刑上不当な判決であること 

 原判決は、要件1ないし4を満たすことを前提に、被告人に対し、懲役1年2月、執行猶予3年、亜硝酸イソブチルを含有する液体の小瓶4本の没収という有罪判決を言い渡した。しかし、かかる判決は、仮に有罪を前提とするとしても量刑不当であり,破棄されなければならない。

 

2 被告人の無罪主張の合理性

 本書面で前述したとおり、被告人は、亜硝酸イソブチルについて、個人の輸入等が処罰されることを批判し、無罪を主張している。仮に結論において裁判所が被告人の上記主張を入れない場合でも、被告人の主張が相応の合理的根拠を有することは、量刑において是非理解いただきたい。

(1)本件では、指定当時、「中枢神経への作用」「保健衛生上の危害」の実態が事実として明らかになっておらず、これらの要件を満たすことを裏付ける資料は存在せず、また、同じく法が求める「審議会の審議」についても、実質的に「審議会の審議」がなされないままに、厚労相の「指定」が外形的になされたにすぎないものであり、構成要件該当性がなく被告人は無罪である。

 

(2)「指定」後の経緯をみても、指定薬物制度創設時の議論及び当時の附帯決議において、「指定薬物に指定した物質については、すみやかに動物試験等の調査研究を実施して、麻薬等に指定するかの判断を行う」とされていた。これは、刑罰法規の謙抑性、実質的違法性ある行為のみを処罰するという刑事法の大原則(憲法31条)と、現実の必要性との極限の調整をはかる趣旨で国に課された義務であり、相当期間を経てもこの義務が履行されないとすれば、「指定」は違法と評価されることを意味している。それにもかかわらず、本件では、亜硝酸イソブチルについて国ないし国に準ずる機関等がそのような調査研究をなした形跡はまったく存在せず、国は上記付帯決議によって課された義務を怠っている。この意味でも本件「指定」は違法であり、被告人は無罪である。

 

(3)さらに、平成26年11月19日の薬機法改正時の参院附帯決議によって、指定薬物は「覚せい剤や大麻と同等以上の作用を持つ」物質とすることがあらためて明確化されるに至っている。この決議に照らしても、犯罪構成要件としての「中枢神経への作用」と「保健衛生上の危害」は厳格に解されるべきであり、構成要件該当性が否定され、被告人は無罪である。

 

(4)薬機法76条の12は、「国は、指定薬物等の薬物の濫用の防止及び取締りに資する調査研究の推進に努めるものとする」と規定する。しかし、国はこの義務にも違反しており、本件「指定」は違法と評価されるべきであり、被告人は無罪である。

 

(5)平成26年薬機法改正では、法2条15項自体が改正され「精神毒性」の要件が明記された。この法改正の趣旨に照らしても、本件「指定」は、本来指定の要件を満たさないにもかかわらず外形上なされた違法な指定であり、被告人の行為は構成要件該当性がなく被告人は無罪である。

 

(6)平成27年3月の関税法改正の段階においても、指定薬物は、「覚せい剤や大麻と同等以上の精神毒性及び保健衛生上の危害を有する物質」であったと解すべきであり、この点からも亜硝酸イソブチルには法の要件を満たさず、被告人の行為には構成要件該当性がなく、被告人は無罪である。仮に「指定薬物」であったとするにしても、今一度指定薬物の範囲を再点検する義務が存在していたというというべきで、その義務を怠り、その点からも被告人は無罪である。

 

(7)関税法第146条には、「税関長による通告処分」が規定されており、亜硝酸イソブチルが薬機法上、禁制された薬物であり、関税法上の「輸入してはならない貨物」に該当するとしても、その害悪の低さを鑑みて、本件においては通告処分のみで終了することが適当な事案であり、憲法31条に照らし被告人は無罪である。すなわち、税関のウェブサイトにおいても、「上記1から3まで【関税法上の処罰規定】の罰条の適用においては、関税犯則の特殊性から国及び犯則嫌疑者双方の負担軽減を目的として、その犯則行為の情状が罰金相当であるとき((1)嫌疑者の居所不明、(2)嫌疑者逃走の虞及び(3)証拠隠滅の虞、並びに(4)通告不履行確実を除く)は、直ちに告発を行うことなく、通告処分(税関長の行政処分)を行うこととされている。この趣旨に照らしても、本件は、まさに通告処分で終了すべき事案であって、それにもかかわらず、被告人に刑罰を科そうとするのは不当であり、可罰的違法性がない。

 

3 量刑不当の根拠

(1)原判決は、被告人に対し、懲役1年2月、執行猶予3年の判決を言い渡した。しかし、これは初犯の覚醒剤事案と同等の懲役刑であり、量刑として重すぎる。麻薬取締法違反での初犯の量刑(大麻等)とも比べると、明らかに重すぎるものである。

 

(2)亜硝酸イソブチルに関する事案では、NHKアナウンサーの事案では所持及び製造であっても罰金刑であった(弁71号証、被告人質問15頁4行目以降)。被告人の場合は、輸入を試みたとはいえ、入手するまでに至っておらず、原判決自体も輸入を所持に至る前段階の行為と述べていることからすると、所持・製造より重い量刑が科されるのは、量刑の不均衡といえ、憲法31条の趣旨に違背する。

 

(3)ラッシュ事案の中には、書類送検されても、略式命令で、罰金刑で終わる場合もある。亜硝酸イソブチルを輸入した他の件に比べて明らかに本件は刑罰が重すぎるものである。

 実際に,弁75号証のアンケート(5頁)を見ても、不起訴、略式などの事案が相当数存在する。同アンケートによれば、以下のとおりである。

・税関の取り調べを受けたが、刑事事件にはならなかった:8件

・警察または検事の取り調べを受けたが、起訴されなかった:2件

・警察、検事の取り調べを受けて、略式起訴された:3件

・警察、検事の取り調べを受けて起訴され、裁判で罰金刑となった:1件

 このような一般的なラッシュ事案との比較においても、被告人に対する原判決の量刑は重きに失する。

 

(4)被告人は、輸入代行業者のサイトに「法律に抵触することはない」と書かれており、被告人の無知による過失は認めるとしても、サイトの表記を信じてしまったことにより違法な密輸組織の違法行為に利用されたという意味で、「被害者」の側面もある。この点については、輸入行為と言っても、インターネットの発達により個人が日常生活の延長上において気軽にできてしまうものとなっており、行為者が輸入禁止の規範に直面する程度・可能性が決して高くないということも考慮されるべきである。

 原判決は、被告人が再度輸入を試みたことをもって、規範意識が低いと言わざるを得ないとしている。しかし、被告人の再度の輸入という行為は、最初の輸入行為のいわば延長上の行為であり、「違法ではない」というウェブサイトの表示を誤信したままでなされたのであるから、必ずしも犯意の強固さを示すものではない(原判決17頁)。

 特に、被告人は、自ら税関や麻薬相談センターに連絡を入れている。これは、自己の行為が違法であるかもしれないと考え、もしそこでウェブサイトの「違法ではない」との記載に根拠がなく、輸入行為が違法であることを明確に教示されればその教示にしたがって適切な対処をしようという意思のもとに上記のような行為を行ったのである。即ち、上記被告人の行為は自首に近い行為であり、この点は、肯定的に評価されなければならない。

 ところが、原判決はこの点に触れておらず、当初の輸入が頓挫した後の被告人の行為を全体として的確に評価せず、その結果過重な量刑に至ったというべきである。

 

(5)亜硝酸イソブチルの有害性より、刑事罰による社会的不利益が上回ることは、薬機法、関税法の予定している目的とは逸脱してしまう。すなわち、既に指摘したとおり、亜硝酸イソブチルの有害性は大きくなく、覚せい剤や麻薬とは大きく異なっている。それにもかかわらず亜硝酸イソブチルを個人的に所持・使用したり、その前提として輸入行為をした者について、覚せい剤同様に重く処罰することは、上記のとおり憲法31条に違反するのみならず、薬機法、関税法の予定している目的を逸脱する。

 

(6)検察官は「論告要旨」において、「一般予防の見地から見ても被告人に処罰を科す必要がある。(論告要旨17頁)」と主張するが、それは、社会的な見せしめにつながるものである。

 報道などによれば、公務員、教員、医師など、社会的立場のある人々が資格や職を一挙に失い、地域生活、社会生活から追放される事態が目につく。このような事態は、薬機法、関税法の予定している目的や規制の考え方を逸脱しており、それにもかかわらず、一般予防の名のもとに過重な刑罰を被告人に課そうとすることは起訴の目的ないし動機において許容されるものではない。


第10  結論

 被告人には、輸入代行業者の文言を鵜呑みにし、軽率な輸入行為に及んだことは反省すべきであるが、他方、亜硝酸イソブチルが指定薬物とされた経緯においては、精神毒性や社会的害悪について、根拠が十分に確認されないままで指定されたことは否定しようのない事実である。刑事罰を科すには、当該行為には法益侵害性を伴わなければならない。しかしながら、これまで論じてきたとおり、亜硝酸イソブチルには精神毒性及び保健衛生上の危害が極めて軽微なのである。

 被告人が、今回、亜硝酸イソブチルの指定自体が違法であると主張したことは、おそらく国内初の訴えであり、被告人がそのような行動に出なければ、上記の問題は永久に問われないままである。精神的・経済的困難を抱えながら、あえてそのような審理を求めたのは、ひとえに被告人の誠実かつまじめな性格の故であり、社会は、亜硝酸イソブチルの規制のあり方を問う主張に及んだ被告人の思いを汲み取るべきであり、それは仮に有罪であるとしても裁判所の決する量刑に反映されうべきである。

 法律で一度決まったものが、永続的に正しいわけではない。薬機法も関税法も国民の生活の安全を守るために制定されたものであり、薬物自体のもつ有害性より、それを取り締まろうとする刑事罰が、より大きな社会的害悪をもたらしてしまうことは、法の目的を逸脱するものである。

 裁判所におかれては、以上の点を十分踏まえて審理すべきである。原判決は破棄を免れない。

                                     以 上


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