ラッシュ(亜硝酸イソブチル)を海外から個人輸入しようとして、医薬品医療機器等法並びに関税法違反として起訴され、その罪状について争われていた【千葉】「ラッシュ裁判」の判決公判が、2020(令和2)年6月18日に千葉地方裁判所で開かれました。
ここでは、判決の概要を掲載します。(全文ではなく部分抜粋です)
主文
被告人を懲役1年2月に処する。
この裁判確定の日から3年間その刑の執行を猶予する。
千葉地方検察庁で保管中の亜硝酸イソブチルを含有する液体の小瓶4本を没収する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)略
(証拠の標目)略
(法令の適用)刑法 60 条、医薬品・医療機器等法 84 条 26 号、76 条の4、関税法 109条3項、1項、69条の11 第1項1号の2にそれぞれ該当
(弁護人の主張に対する判断)
第1 本件の争点
被告人が亜硝酸イソブチルの輸入、同未遂を行ったことは証拠上明らかで 争いもないが、弁護人は亜硝酸イソブチルは、医薬品・ 医療機器等法2条 15 項が定める「指定薬物」に当たらないから、被告人の行為は医薬品・医療機器等法違反にならないし、指定薬物を輸入禁止貨物とする関税法にも違反していないと主張している。
亜硝酸イソブチルは、同条項が定める
① 「中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用(当該作用の維持または強化の作用を含む。)を有する蓋然性が高」い(以下,「精神毒性」という。)という要件を欠いていた
② 「人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある」という要件を欠いていた
③ 本件指定にあたって「薬事・食品衛生審議会の意見を聴く」としているのに、実質的に聴いておらず、この要件を欠いていた
④ 仮に上記①②③を満たしていたとしても、厚労相は、その裁量権を逸脱濫用して本件指定をした
⑤ 平成 27年3月 31 日に関税法が改正され、同法の「輸入してはならない貨物」に医薬品・医療機器等法上の「指定薬物」が追加され、個人輸入について同法よりも重い罰則が新設されたのであるから、厚労相は、その際、医療機器等法上の「指定薬物」から亜硝酸イソブチルを外す義務があったにもかかわらず、外さなかったことは厚労相の裁量権を逸脱濫用しており、違憲・違法であった
というのである。
当裁判所は、弁護人の主張はいずれも理由がなく、亜硝酸イソブチルは、適法に指定された指定薬物に当たると判断した。
第2 本件各争点に対する判断方法について
1 要件判断のあり方
旧薬事法2条14項(現在の医薬品・医療機器等法2条15項)は、「この法律で「指定薬物」とは、中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用を有する蓋然性が高く、かつ、人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれ がある物...として(としてに傍点)、厚生労働大臣が...指定するものをいう。」と定めており、「この法律で「指定薬物」とは、中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用...を有する蓋然性が高く、かつ、人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある物...であって(であってに傍点)、厚生労働大臣が...指定するものをいう。」とは定めていない(傍点は当裁判所)。したがって、その文理上、精神毒性及び保健衛生上の危害が生じるおそれの存在は、厚労相の指定と別個の独立した要件ではなく、厚労相の指定判断の内容と解するべきである。また、化学や薬学、医学について学識経験のない裁判所は、これらの要件について独自に専門的な判断をする能力も十分でない。 以上からすれば、裁判所は、厚労相の判断から離れて、精神毒性や保健衛生上の危害の発生のおそれの存否を判断するのではなく、厚労相がそのように判断したことに合理性があるか、それが裁量の範囲を逸脱していないかを審査するべきである。
2 本件指定の経緯
厚労相が薬事・食品衛生審議会指定薬物部会の意見を聴いて、亜硝酸イソブチルを指定薬物に指定するに至った過程を認定しておく。
(以下、検察側証人の指定当時の厚生労働省麻薬対策課課長補佐の証言を採用)
当時、亜硝酸イソブチルが乱用されていたという背景事情もあり、外部の専門家と相談するなどしつつ、候補リストを作成して部会に上げるかどうかを局長まで検討し、亜硝酸イソブチルを含めた物質を指定薬物の候補として部会に上程した。
本件部会は,毒性学の専門家である委員により構成されていた。亜硝酸イソブチ ルについては、事務局が委員複数人と相談しながら、最新で適切であろう、※世の中に少数の反対の見解はあるものの、科学者のコンセンサスを得られている教科書的なものであろうと考えて The American Journal on Addictions 誌の 2001 年 10 号 79 頁以下の論文(甲 31、32)(以下、本件論文)を選んだ。平成18年3月に実施された日本集中治療医学界学術集会において国立大学病院機構熊本医療センターが発表した亜硝酸イソブチル服用により呼吸停止となった事例(甲 47) や、リッツ社の告発に当たりアメリカにおけるラッシュの規制状況について調査した結果(甲 47) などについても、全ての委員候補者に対して話をしており、指定薬物の要件も知っていた。
事務局は、事前に資料を委員に送付し、意見があれば事務局まで連絡をもらえるようお願いしていたが、反対意見はなかった。
本件部会は、平成 18年 11月9日、厚生労働省会議室にて開催諮問された。当日も亜硝酸イソブチルを指定することについて特段の異論や疑義はなかった。その結果、異論なく、指定するのが適当であると決議された(甲 30)。薬事・食品衛生審議会は同年 12月5日、厚労相に対し指定が適当である旨正式に答申した(甲 45)。そして厚労相は、平成 19年2月28日、亜硝酸イソブチルその他の薬物を「指定薬物」として指定した。
※傍線はやや裁判官のバイアスを感じる表現といえる
第3 精神毒性及び保健衛生上の危害(争点①、②)について
1 精神毒性及び保健衛生上の危害の解釈について
(1)弁護人の主張
(1) 弁護人の主張
弁護人は、指定薬物の要件のうち「中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用」には軽微なものは含まれず、実際に麻薬又は向精神薬と類似する程度の健康被害が生じるような程度のものであることが要求されると解釈すべきである旨、また「保健衛生上の危害が発生するおそれがある」とは、人体又は社会に対して一定程度以上の害悪を発生させるおそれがある場合と解釈すべきである旨、主張する。
上記主張の根拠として、ア)指定薬物制度は厚生労働省の「脱法ドラッグ対策のあり方に関する検討会」の平成 17 年 11 月 25 日付けの提言「違法ドラ ッグ(いわゆる脱法ドラッグ)対策のあり方について」(弁 9)に沿って解釈されるべきである、医薬品・医療機器等法2条15項には、平成 26年 11 月 27 日改正(同 10年12月17日施行)により「以下『精神毒性』という。」との文言が挿入されたが、これは「中枢神経系への作用」が麻薬又は向精神薬と類似する程度の作用を指すことを改めて確認する趣旨であったと解される、 イ) 証人精神科医は、あるべき薬物規制とは、abuseに該当する場合を規制するのではなく、harmfuluseに該当する場合を規制すべきであると考えるのが相当である旨述べている(医師 4, 6頁)から、harmfuluse (人体に対して有害であること) を薬物規制の要件とすることが相当である、ウ)処罰の均衡の見地から限定的に解釈すべきであると主張する。
(2) 弁護人の上記主張に対する判断
しかしながら、ア)の提言については、あくまでも「現時点(平成 17 年当 20 時)では」「難しいのではないか」との見解をまとめたものであって、本件指定までの間の状況の変化を考慮して指定薬物制度を設けて規制することが不当であるということにはならない。また、「精神毒性」との文言が法改正に際して付加されたことから弁護人の主張するような解釈が導かれるともいえない。イ)の ※harmfuluse に該当する場合を規制すべきであるという精神科医の見解は傾聴に値するが、上記提言の検討会メンバーだったわけでもない同医師の個人的見解にすぎず、厚労相がこれと異なる判断をしたからといって違法となるわけではない。さらに、ウ)の処罰の均衡の見地から限定的に解釈すべきであるとの主張については、旧薬事法1条が、同法の目的につき、「この法律は、医薬品、医薬部外品、化粧品及び医療機器の品質、有効性及び安全性の確保のために必要な規制を行うとともに、指定薬物の規制に関する措置を講ずるほか、医療上特にその必要性が高い医薬品及び医療機器の研究開 発の促進のために必要な措置を講ずることにより、保健衛生の向上を図ることを目 的とする。」と定めており、その正当な目的を達成するために、いわゆる精神毒性を有する蓋然性が高く、かつ、人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある物を指定薬物として規制することは、手段として相当であるから、これらの要件を弁護人の主張するほど限定的に解釈しなければならないとはいえない。
加えて,旧薬事法 2 条 14 項の規定を見ても、中枢神経系への作用の機序について、直接的に作用する必要がある旨の限定はないことからすれば、精神毒性及び保健衛生上の危害の解釈について弁護人の主張するような限定的解釈は採用できず、※2中枢神経系への影響は間接的な作用も当然含まれると解釈すべきである(厚労省43頁)。
※ここは唯一弁護側証人の証言を尊重した部分であるが個人的見解と断じる
※2ここは厚労省職員の証言に立脚しているが間接的な作用まで含んでいいか拡大解釈に過ぎると考えられる
2 亜硝酸イソブチルが精神毒性を有する蓋然性
前記のとおり、本件部会で亜硝酸イソブチルを指定薬物に指定する際に、議論の土台とされた本件論文には、亜硝酸イソブチルの作用として、多幸感が挙げられている(甲 32・10 頁)。中枢神経薬理学の分野を専攻し、日本薬理学会の理事や、日本神経精神薬理学会の評議員、厚生労働省の委員を歴任するなど薬理学への造詣が深い中枢神経教授は、公判廷において、多幸感とは、薬物を摂取して非常に快楽的な気持ちになることをいい、薬を飲むと非常に快楽を得るというのを「報酬」というが、そのメカニズムは、ドーパミンという興奮性神経伝達物質が放出されることによるものである,亜硝酸イソブチルを含む亜硝酸エステル類は、体内に摂取されると血液一脳関門を通過し,脳に入り,多幸感を得るという報酬効果をもたらす、薬理学の常識として、多幸感や陶酔感に関しては、まさしく中枢神経系に作用していると理解するものと解説している(教授 4、5、38、39頁)。また、本件論文以外の文献(甲 33~43)においても、亜硝酸イソブチルを含む亜硝酸エステル(類)が、中枢神経系に影響を与えている可能性が示唆された旨論述されている。前記のとおり、中枢神経系への影響は間接的な作用も当然含まれると解されるから、上記のような作用が認められる以上、亜硝酸イソブチルが精神毒性を有する蓋然性が高いという本件部会及び厚労相の判断は、十分に合理的である。
3 亜硝酸イソブチルによる保健衛生上の危害が発生するおそれについて
(1) 亜硝酸イソブチルによる保健衛生上の危害の内容等
本件論文は、亜硝酸塩(亜硝酸イソブチルを含む)についての医学的後遺症として、急性症状として「吸飲後、軽い頭痛・目まい・動悸・ふらつきを訴える使用者が多い。もっとしつこいズキズキした頭痛・吐き気・嘔吐・虚弱・失神・落ち着か なさ・悪寒・本人が意図しない排便排尿というのも言われる。」と、慢性症状として「亜硝酸塩使用の最も深刻な影響は、血液学および免疫系統にある。...吸飲すると...腫瘍殺傷活動を、著しく損なってしまう。...多分こうした影響は、亜硝酸塩使用と AIDS との関係に何らかの関係を演じている。...HIV 感染と亜硝酸塩使用のコンビネーションは、免疫システムの弱体化を早めるため、こうして致死的になってしまう」などと指摘している。また、ニューロサイエンス・レターズ 619 巻(甲 33~35、42)では、亜硝酸イソブチルは、げっ歯類で学習記憶及び運動調性欠陥を引き起こしたという結論が得られ、亜硝酸イソブチルを含む亜硝酸エステルは、取り分け学習記憶機能方面に神経有毒性を引き起こす可能性が示唆された旨指摘されている。さらに、中枢神経学教授は、亜硝酸化合物の有害な作用として、血管が拡張して血圧が下がり、その反射として心臓の動きが強くなり、循環器系に対して必要のない効果が出るという循環器系に対する作用のほか、連用して化されいくと黄斑が変性して失明する可能性があるという目に対する作用、依存に繋がり 得る多幸感という作用もあり、さらに、誤飲すると死に至る報告もある旨供述する(教授18~19頁)。亜硝酸イソブチルについて、人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれが認められると判断した本件部会及び厚労相の判断 は合理的である。
(2) 弁護人の主張について
弁護人は、「保健衛生上の危害が発生するおそれがある」とは、「人体又は社会に 対して一定程度以上の害悪を発生させるおそれがある場合をいう」との解釈を前提 にした上で、そのような保健衛生上の危害がない理由として、ア)亜硝酸イソブチルの人体の生命身体に対する悪影響は少ない、イ)亜硝酸イソブチルを使用したことによる自傷他害事例は報告されていない、ウ)亜硝酸イソブチルはゲートウェイドラッグであると断定することはできない、エ)乱用されていることは保健衛生上の危害を満たさないと主張する。
そもそも、弁護人のような限定的な解釈が採用できないことは既に述べたとおりであり、保健衛生上の危害が一定程度以上である必要はないというべきであるが、弁護人が害悪が小さいと主張する各根拠についても、以下のとおり、理由がないというべきである。
ア 人体の生命身体に対する悪影響が少ないか
弁護人は、亜硝酸イソブチルの人体に対する作用はわずか数十秒であると主張するが、本件論文によれば、これが理由で、数時間にわたり 20 回以上も吸飲する人がいることが指摘されており(甲 32・10 頁)、1回の効果が短いからといって、必ずしも悪影響が少ないとはいえない。
弁護人は、医学雑誌「LANCET」中の論文(弁 21、 22)に、亜硝酸イソブチルはタバコやアルコールよりも危険性が低い旨記されていることを指摘する。しかし、アルコールや、たばこに含まれるニコチンも中枢神経系に興奮の作用をもたらし、一定程度の害悪があることが知られているところ、これらは、社会的に受容されてきた長い歴史やアメリカでの禁酒法の事例等を考慮して規制されていないだけであるから(厚労省 29 頁)、これらと比較して規制の当否を論ずるのは相当でない。
また、日本集中治療医学会学術集会における、亜硝酸イソブチルの服用により高メトヘモグロビン血症を呈し呼吸停止となった症例の報告(甲 47)について、上記症例は本来予定されていない用法で死亡した事例であって、当該薬物ないし物質が人体に有害であることにはならないと主張する。しかし、亜硝酸イソブチルはそもそも医薬品ではなく、正規の用法自体が存在しないから、蒸気を吸引し ている者が多いからといって、それが「正しい」用法であるなどとはいえない。乱用とは疾患の治療に承認された方法以外の使い方をいうから(厚労省53 頁参照)、蒸気吸引であろうと、飲用であろうと、乱用であることに変わりはないというべきである。
また、イギリスの「薬物使用に対する専門家による諮問委員会」(以下 「ACMD」という。)の論文(弁 1)に、亜硝酸イソブチルを規制対象にすべきではないという意見が書かれていると主張するが、中枢神経学教授は、観点が異なり、日本の指定薬物と一緒に考えることは相当でないと指摘している(教授32 頁)。
イ 亜硝酸イソブチルを使用したことによる自傷他害事例の有無
弁護人は、精神科医の供述や、国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所の薬物依存研究部による調査(弁 10~17) を根拠として、自傷他害事例の報告例がないと主張する。しかし、保健衛生上の危害が生じた場合であっても、医療機関に対して自傷他害の報告がされるとは限らない。また、限られた調査対象中に報告例がないからといって、自傷他害事例が生じていないと断定することもできない。
ウ ゲートウェイドラッグであるか
弁護人は、主に男性とセックスを行う男性に対して行ったアンケート結果によれば、回答者の約 90%に及ぶ人がラッシュを使用したことがあると答えたが、覚せい 剤を使用したことがあると答えた人は約 14%に止まることから、 ラッシュを使うけ れどもそれ以外の薬物に移行しない人もかなりの割合でおり、亜硝酸イソブチルが必ずしもゲートウェイドラッグであるとはいえないという精神科医証言(医師21~22 頁)を根拠に、亜硝酸イソブチルはゲートウェイドラッグではないという。しかしながら、上記アンケートでは、覚せい剤の使用経験がある人の割合を、亜硝酸イソブチルの使用経験がある人とない人とで比較するなどのクロス集計はされていないことからすれば、上記アンケートの結果のみで両者の関係性について何らかの結論を導き出すことはできない。このことは精神科医も認めている(同 29~30 頁)。
工 乱用されていることは保健衛生上の危害を満たさないか
弁護人は、乱用されていること(abuse) は、規制の端緒の議論になりこそすれ、それだけで規制の対象とすることは許されない、精神毒性及び人体又は社会に対する害悪性を具備しなければ、指定薬物に指定してはならないと主張するが、亜硝酸イソブチルに精神毒性及び人体又は社会に対する害悪性が認められることは既に述べたとおりであり、弁護人の主張は前提を欠いている。
4 結論
以上からすれば、薬事・食品衛生審議会が、亜硝酸イソブチルを「中枢神経系の 興奮若しくは抑制又は幻覚の作用...を有する蓋然性が高く、かつ、人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある物」として答申し、これに基づき、厚労相が亜硝酸イソブチルを指定薬物に指定したのは合理的であると認められる。
第4 薬事・食品衛生審議会の意見聴取(争点③)について
弁護人は、本件部会で用いられた資料中に、精神毒性の存在を示す資料が存在しないことや従前の文献も中枢神経系の作用について否定的であることを根拠に、本件部会は、まったく形だけのものであって、法が定める手続要件をおよそ満たしてないと主張する。
まず、弁護人は、精神毒性について独自の定義をした上で、それに合致する文献 でないことを非難しているところ、その前提自体が採用できないことは既に述べた。本件部会で亜硝酸イソブチルの指定について審議された経過は、前記「本件指定の経緯」のとおりであって、これらの経過からすれば、事務局が、亜硝酸イソブチルに関する資料を準備して、事前にこれを送付するとともに、症例や調査結果に関する説明を加え、これを受けた専門的知見を有する委員が、相応の検討をした結果、不足する資料はなく、疑義がない状態で本件部会に出席したからこそ、本件部会においては要件該当性が明白で、議論の余地がなかったと解される。そうすると、本件部会においては、亜硝酸イソブチルについて特に取り上げた発言はなかったものの、形式的に開催されたものではなく、実質的な審理がなされたと評価できる。したがって、厚労相による薬事・食品衛生審議会の意見聴取手続に瑕疵があったものとは認められない。
第5 裁量権の逸脱・濫用の有無(争点④)について
1 弁護人の主張
厚労相が亜硝酸イソブチルを「指定薬物」として指定するにあたっては、精神毒性及び保健衛生上の危害のほか、使用者の健康への影響の有無,内容及び程度、社会における濫用の実態や各種の実害の発生状況、当該薬物に関する調査研究及び文献等の調査状況、他の物質の指定状況、他の代替手段、当該薬物の使用方法、当該指定が社会に与える影響、指定によって被る不利益等種々の考慮事項を吟味・検討した上で、指定薬物として指定してよいかどうかを判断しなければならないところ、厚労相はその吟味・検討をせずに、亜硝酸イソブチルを指定薬物として指定しており、その結果、社会通念上著しく不合理な結果となっているため、本件指定行為は裁量権を逸脱濫用して行われたものである。
2 弁護人の主張に対する判断
いわゆる危険ドラッグ(本件指定当時の呼称は「違法ドラッグ」)は、人体への摂取を目的としていないかのように偽装されて販売されたり、外国から個人輸入されたりする一方で、麻薬等として指定されるまでには長時間を要するため、青少年を中心にその乱用が拡大する傾向にあった(弁9参照)。そこで、迅速・広範・確実な規制を行うために、指定薬物制度が導入され、厚労相が危険ドラッグを指定薬物として適宜指定し、規制できることとされたと考えられるから、いかなる薬物を指定するかについては、厚労相に一定の裁量権が認められているものと解するのが相当である。もっとも、どの薬物を指定薬物として指定するのが相当であるかは、専門的な検討を必要とすることから、指定に際しては、専門的知識経験を有する審議会に意見を聴くものとするとともに、指定薬物の要件の解釈自体も専門的な領域に属するものとしてこれを委ねたものというべきである。そうすると、当該指定に関する裁判所の審理、判断は、厚労相による当該指定に法の趣旨を逸脱するような不合理な点があるか否かという観点から行われるべきである。例えば、仮に、①当該指定に用いられた審査基準(法令の解釈を含む)が不合理である、②当該指定の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により当該指定が全く事実の基礎を欠く、③厚労相が審議会の意見を無視するなど、当該指定の判断過程に看過し難い過誤、欠落がある、④その他当該指定が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかである、などの特段の事情が認められる場合には、当該指定が裁量権の範囲を越え又はその濫用があったものとして違法となる場合があるというべきであるが、既に検討してきたところに鑑みれば、上記のような特段の事情があったとは認められない。よって、裁量の逸脱・濫用があったとはいえない。
第6 関税法改正に際しての見直し義務の存否(争点⑤)について
1 憲法違反の主張について
弁護人は、関税法の処罰対象に亜硝酸イソブチルを組み込む立法を行う際、関税法上処罰の対象とすべき薬物の範囲を検討する必要があったところ、この検討を行わず、規制立法を行ったことが過度に広範な規定立法といえ、憲法 31 条に違反すると主張する。
しかしながら、関税法1条が、その目的につき、「関税の確定、納付、徴収及び還付並びに貨物の輸出及び輸入についての税関手続の適正な処理を図るため」と定めているのは正当である。そして、「輸入してはならない貨物」は、国民生活の安全、社会・経済秩序の維持といった社会公共の利益の観点から、税関による積極的な水際取締の実行を期すことが特に必要と認められるものを対象としているものであるから、前記目的を達成するために、確実な規制の観点から、医薬品・医療機器等法上の「指定薬物」を「輸入してはならない貨物」として規制することは、過度に広範な規制立法とはいえず、手段として相当であると解される。
よって、関税法が「指定薬物」を「輸入禁止貨物」としたことは合憲である。
2 厚労相の裁量権逸脱濫用との主張について
弁護人は、本件関税法改正により、亜硝酸イソブチルを輸入した場合の刑が厳罰化されたことからすれば、厚労相は、指定薬物から亜硝酸イソブチルを外すべき義務があったにもかかわらず、かかる処置をとらなかったことは、上記義務に違反しており、裁量権の逸脱濫用として違法である旨主張する。
弁護人の上記主張は、厚労相に、本件関税法改正に当たって医薬品・医療機器等法上の「指定薬物」から亜硝酸イソブチルを外すことについての裁量があることを前提としていると考えられるが、関税法上、 「輸入してはならない貨物」に何を含めるかについて、同法を所管しない厚労相にそのような裁量があるとは観念できない。また、医薬品・医療機器等法上の要件を満たすものとして亜硝酸イソブチルを指定したにもかかわらず、上記要件と直接関係がない本件関税法改正を理由にこれを「指定薬物」から外すような義務が課されていると解することもできない。
なお、関税法の改正如何にかかわらず、規制当局としては、精神毒性及び保健衛生上の危害などの規制根拠となる事情が継続しているか、不断に見直すべきことは当然であって、これを怠れば、その不作為が裁量逸脱となることはあり得ると思われるが、本件指定後、そのような状況変化があったとも認められない (厚労省70 頁)。
第7 結論
以上より、弁護人の主張はいずれも認められない。本件指定は合憲・適法であり、被告人の公訴事実記載の各行為は、医薬品・医療機器等法 84 条 26号、76条の 4、関税法 109条3項、1項、69 条の 11 第1項1号の2の構成要件に該当する。
(量刑の理由)
本件は、指定薬物である亜硝酸イソブチルを含有する液体(以下,「本件薬物」という。)の小瓶4本を,海外の氏名不詳者から購入して同人に発送させ、日本国内に輸入したが、税関職員に発見されたという医薬品・医療機器等法違反,関税法違反の事案である。
被告人は、亜硝酸イソブチルは日本国内で所持・使用してはいけないものであると認識しつつ、自ら使用して快楽を増すために本件薬物を入手したものである。被告人は、代行業者のサイトを通じて輸入するのであれば、日本国内に輸入することができるのではないかと思い、犯行当時は輸入行為に対して明確な違法性を認識していなかった旨述べるが、輸入行為が日本国内での所持・使用の前段階の行為であることは、 少し考えれば分かることであって、酌量の余地はない。また、被告人は、判示第1の犯行が税関において摘発された後、なおも共犯者に郵送を依頼し、再度密輸を試みている(判示第 2)。その犯意は強固なものと評価でき、規範意識が低いといわざるを得ない。
一方、本件各犯行における亜硝酸イソブチルの重量は合計 28.56gにとどまり、それほど多いとはいえないことに加え、勤務先から懲戒処分を受ける等の大きな社会的制裁を受けているなど、被告人のために酌むべき事情も認められる。
以上の諸事情を総合考慮すると、被告人に対しては主文の刑を科した上、その刑の全部の執行を猶予し、社会内での更生の機会を与えるのが相当である。
(求刑)懲役1年6月、主文掲記の没収
令和2年6月18日
判決は、ほとんどを検察側の書証と証言は採用し、被告人及び弁護側の書証や証言は採用しないものとなりました。
皆さんも、判決をどう読まれるか考えてみてください。私たちも控訴に向けて、準備を進めていきたいと思います。
【速報】ラッシュ(RUSH)裁判オンライン報告会開催
2020年9月5日(土)14:00~15:30
【千葉】ラッシュ裁判の地裁一審判決は、弁護側の主張のほとんどが受け入れられないものでした。
〈ラッシュ〉は「指定薬物」になっていますが、規制過程や、刑罰を科すほどの有害性に、充分なコンセンサスが得られていません。
控訴に向けて準備を進めていますが、裁判の意義や判決の解説、今後の動向を一緒に考える場を設けます。
コロナウイルスの影響も踏まえ、zoomを使ったオンラインでの開催となります。
参加の詳細は、追ってお知らせします。
ぜひご都合の調整をお願いします。
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