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【千葉】ラッシュ裁判 東京高裁 不採用意見書 三重野雄太郎

ラッシュ(亜硝酸イソブチル)を海外から個人輸入しようとして、医薬品医療機器等法並びに関税法違反として起訴され、2020(令和2)年6月18日に千葉地方裁判所で「懲役1年2月 執行猶予3年」 の判決が言い渡された【千葉】「ラッシュ裁判」は、以下のとおり、東京高等裁判所で控訴棄却の判決言い渡しが行われました。

 

日時 2021(令和3)年6月22日火曜 午前11時  

場所 🔊東京高等裁判所 8階 805号法廷

内容 判決言い渡し

 

前回の4月15日公判では、弁護人の提出した「証拠」は、いずれも採用されませんでした。

ここでは、三重野雄太郎氏の意見書を掲載します。

🔊【千葉】ラッシュ裁判 控訴趣意書1―指定薬物制度の運用・解釈

🔊【千葉】ラッシュ裁判 控訴趣意書2―「精神毒性」「保健衛生上の危害」

🔊【千葉】ラッシュ裁判 控訴趣意書3―裁量権・関税法・量刑 


意見書 佛教大学社会学部公共政策学科 講師 三重野雄太郎 2020年11月24日  

 標記事件について、以下のとおり意見を上申する。


1.筆者について

 筆者は、刑法と医事法を専攻する研究者・大学教員であり、これまで、医療に関わる領域に関する刑法上の問題について研究を進めてきた。とりわけ、旧薬事法や医師法に関わる論文や刑事裁判の判例評釈を多数公刊している。以下が、旧薬事法・医師法に関わる筆者の研究業績である。

・拙稿「歯科医師の医科救命救急研修と医師法17条[札幌高裁平成.20.3.6判決]」 

法律時報83巻8号(2011年7月)120頁~123頁

・拙稿「歯科医師の医科救命救急研修と医師法17条」

高橋則夫ほか編『判例特別刑法』(2012年4月・日本評論社)244頁~252頁

・拙稿「『医薬品』の意義[東京地判平成24.10.25]」

 法律時報86巻2号(2014年2月)132頁~135頁

・拙稿「旧薬事法2条1項における『医薬品』の意義」

高橋則夫ほか編『判例特別刑法第2集』(2015年7月・日本評論社)247頁~254頁

・拙稿「旧薬事法66条1項にいう『記述』の意義」

鳥羽商船高等専門学校紀要40号(2018年3月)1頁~8頁

・拙稿「タトゥーを彫る行為の『医行為』該当性」

鳥羽商船高等専門学校紀要40号(2018年3月)9頁~16頁

・拙稿「改正前薬事法66条1項『記事の記述』該当性」

高橋則夫ほか編『判例特別刑法第3集』(2018年11月・日本評論社)255頁~264頁

・拙稿「タトゥー(入れ墨)施術行為は、医師法一七条の『医業』の内容である医行為に該当しないとして、無免許医業罪の成立を認めた一審判決を破棄し、無罪とした事例 大阪高判平成30・11・14判時2399号88頁」年報医事法学35号(2020年)180頁~185頁。

 

 本意見書では、こうしたこれまでの研究活動において得た知見を踏まえ、本件に関して以下のとおり上申したい。


2.亜硝酸イソブチルの指定薬物該当性について

 原判決は、亜硝酸イソブチルの指定薬物該当性を認めて被告人を有罪としたが、そもそも、亜硝酸イソブチルが、「中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用」を「有する蓋然性が高く、かつ、人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある物」と言えるのか、強い疑いが残る。この点について十分な検証が必要である。

 

(1)医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(以下、「薬機法」と略す。)の性格

 薬機法は、旧薬事法の時代から、不良医薬品等が社会に広がってしまうと多くの国民に重大な健康被害をもたらすおそれがあることを念頭において、幅広く、包括的な規制をかけ、取締りが効率的にできるような内容となっている。いわば、取締法規としての性格が非常に強い法律である。不良医薬品等による健康被害を防止するために被害が生じる前に事前に対応できることを目指して作られた法律であると言える。その結果として、薬局等の距離制限の規定のように、旧薬事法の規制について、裁判所がそうした規制を違憲であると判断したケース[ 最大判昭和50年4月30日民集29巻4号572頁。]もある。

 このような事前予防の姿勢は、指定薬物の規制においても見られる。例えば、「指定薬物である疑いのある物」が発見された場合、厚生労働大臣(以下、「厚労相」という。)または都道府県知事は、当該物品を製造・販売等している者に対して、指定薬物であるかどうかについて検査を受けることを命令できる。また、「指定薬物若しくはその疑いがある物品若しくは指定薬物と同等以上に精神毒性を有する蓋然性が高い物である疑いがある物品」を貯蔵・陳列・広告している業者について、薬事監視員による立入検査を行うことも認められている。すなわち、指定薬物については「疑いがある」だけの理由で公権力の介入が認められている。

 しかし、「疑わしきは、何らかの対応をとる」薬機法のこのような性格は、「疑わしきは罰せず」を大前提とする刑法とは大きく異なるものである[ 花輪正明「医薬品規制を巡る日本の法制度」明治大学ELM・明治大学比較法研究所編『新たな薬事制度を求めて』(2020年・尚学社)101頁以下。]。薬機法上の罪に関わる刑事裁判においては、この点を踏まえて、薬機法の罰則規定で処罰される行為が刑事罰に値するほどの行為なのか十分な検討が必要である。

 

(2)薬機法の罰則規定

 上記の点と関連して、薬機法では、医薬品の無許可製造・販売や医薬品に関する誇大な広告などが処罰されているが、これらの罪は、医薬品による保健衛生上の危害が実際に生じなくても犯罪が成立する抽象的危険犯である。このような抽象的危険しかない段階で処罰するという点でも、前述の事前予防の性格の強さが見受けられる。

 しかし、罪刑法定主義の自由主義的性格や、憲法31条から導かれる刑罰法規の適正の観点からすると、抽象的危険犯においても、処罰される行為は法益侵害のおそれが実質的に認められることが必要である。これは、指定薬物の規制についても言えることである。

 抽象的危険犯については、従来は、具体的な事案における危殆化結果の発生を問わずに、構成要件に規定されている行為がなされただけで処罰されるものであるという理解が通説的見解であった。しかし、こうした理解によると、法益侵害の危険が現に全く発生しなかった場合であっても犯罪の成立が肯定されることになって、法益関連性の要請を形骸化されることになってしまう点に激しい批判が向けられ、近年では、構成要件該当行為と法益との実質的関連性を問うことによって、個々の事例に即し、およそ危険が認められない場合には犯罪の成立を否定するべきであるとする学説が有力となっている[ 謝煜偉『抽象的危険犯論の新展開』(2011年・弘文堂)37頁。]。裁判例においてもそうした理解は見られる。例えば、刑法126条2項の罪の成否が問題となった最高裁判決[ 最判昭和55年12月9日刑集34巻7号513頁。]において、多数意見は被告人の行為が同項にいう「破壊」に該当するとしたが、団藤重光裁判官は、「自力離礁の不可能な座礁は、それが航行能力の喪失にあたるからといって、ただちに艦船の『破壊』にあたるものと解するのは早計であり、それが艦船内に現在する人の生命・身体に対する危険の発生を伴うようなものであるばあいに、はじめてこれにあたる」という補足意見を示した。また、同判決においては、谷口正孝裁判官も抽象的危険犯について、「行為当時の具体的事情を考えて法益侵害の危険の発生することが一般的に認められる行為がなされたばあいに限り、危険が具体化されることを問わずに処罰の理由が備わったもの」であるという理解を示している。さらに、下級審の判決ではあるが、「抽象的危険犯においてもある程度の危険性の存在が必要であることは言うまでもなく、全く危険でないときは処罰すべきでない」と述べているものもある[ 東京簡判昭和55年1月14日判時955号21頁。]。近年でも、国家公務員法102条1項の「政治的行為」について、「公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが、観念的なものにとどまらず、現実的に起こり得るものとして実質的に認められるもの」を指すと述べ、処罰範囲を法益への実質的危険があるものに限定した最高裁判例がある[ 最判平成24年12月7日刑集66巻12号1337頁および最判平成24年12月7日刑集66巻12号1722頁。]。

 このように、抽象的危険犯であっても、犯罪が成立するためには法益侵害の実質的な危険性が認められなければならないのである。

 

(3)指定薬物制度の趣旨

①旧薬事法の下での指定薬物制度

 原審判決が指摘するとおり、指定薬物制度は、「迅速・広範・確実な規制を行うために」導入されたものである。そうすると、指定薬物制度による規制が過度なものであったり、広範すぎるものであったりはしないか、検討が必要である。

 指定薬物制度は、麻薬類似の精神毒性を有する蓋然性がある物質を規制するものであるが、このような規制形態が取られたのは、麻薬に指定するためには科学的な検証が必要である[ 麻薬及び向精神薬取締法では、同法別表第一第1号~第74号で同法の規制対象となる麻薬に該当する物質が具体的に列挙されつつ、同法別表第一第75号では、「前各号に掲げる物と同種の濫用のおそれがあり、かつ、同種の有害作用がある物であつて、政令で定めるもの」も麻薬に該当するものと規定されている。すなわち、政令による指定を行うためには、「有害作用がある」ことが条件になるので、その点の検証が不可欠なのである。]ので、規制のハードルを下げるために、精神毒性を有する「蓋然性が高」く、「保健衛生上の危害を生ずるおそれ」さえあれば本当にそのような危険な物であるか否か科学的検証なくして規制できるようにするねらいがあったと考えられる[ 花尻(木倉)瑠理「危険ドラッグの規制と流通実態について」薬剤学75巻2号(2015年)122頁では、「中枢神経系への作用を 有する可能性が高く,危害発生のおそれがある段階 での指定が可能であるため,科学的実証データが揃わないと指定ができない「麻薬」とは異なり、迅速に流通を規制することが可能となった」と記載されている。]。そうすると、なおさら、規制が広範すぎないか、法益侵害のおそれが実質的に認められるといえるか、検証が必要である。

 そもそも、いわゆる「脱法ドラッグ」を規制するために、厚労相が指定した物を規制するという形態がとられたのは、いかなる物が規制対象となっているのか明確化するためであると解される。例えば、単に精神毒性を有し保健衛生上の危害を生ずるおそれのある物質を規制する内容の条文であれば、規制される物質が不明確で、罪刑法定主義の見地から問題となる。

罪刑法定主義からは、どのような行為が処罰の対象になるのか、事前に国民に告知しておくことが要請されるわけで、刑罰法規は国民一般にとって処罰の範囲が予測可能な程度に具体的活明確に規定されなければならない。ここでいう明確性については、「通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読み取れるかどうか」が基準となる[ 徳島市公安条例事件最高裁判決(最判昭和50年9月10日刑集29巻8号489頁。)の判示内容である。]。

 具体的にどのような物質が精神毒性を有する蓋然性があって保健衛生上の危害を生ずるおそれがある物なのか、これは薬学等の専門家でなければ判断できないことで、通常の判断能力を有する一般人の理解では到底判断できない。よって、専門家集団である薬事・食品衛生審議会の意見を聞いたうえで、厚労相が規制対象となるものを指定することで、具体的な物質名を省令で明示して一般国民に周知させることにしていると理解できる。

 

②薬機法の下での指定薬物制度

 上述のとおり、指定薬物制度が導入された当初は、覚醒剤や麻薬と同等の精神作用を有するかどうかは証明されていないけれども、その蓋然性がある物質をすみやかに省令で指定して簡易迅速に取り締まることが制度趣旨であった。法定刑が軽かったこと、当初は使用や所持が禁止されていなかったことは、かかる趣旨の顕れである。 

 しかし、その後、平成25年から平成27年にかけて、指定薬物制度が相次いで改正され、重罰化が進んだ。改正の理由は、危険ドラッグといわれるドラッグ中毒者による他害事例 (死亡事故)が相次いだからである。かかる悲惨な事故を受けた世論に押される形で、指定薬物は、単純使用・所持が禁止されるに至り、最終的には、輸入行為についても関税法上の法定刑(10年以下の懲役等)の対象となるなど急速な厳罰化が進んだ。平成26年改正では、薬機法2条15項自体が改正されて、「精神毒性」の用語が明記されている。

 このような状況下においては、指定薬物は、輸入するだけでも懲役10年もの刑罰が想定されるような危険な物でなければ比例原則の観点から問題であって、少なくとも、関税法による規制を導入する際に亜硝酸イソブチルがそれ程までに危険な物なのか、指定薬物としての指定を見直すべきであったと言える。

 

(4)指定薬物の要件判断について

 原審判決は、指定薬物の定義として、「中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用・・・を有する蓋然性が高く、かつ、人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある物・・・として、厚生労働大臣が・・・指定するものをいう。」と定められており、「・・・保健衛生上の危害が発生するおそれがある物・・・であって、厚生労働大臣が・・・指定するものをいう。」とは定められていない点を理由に、精神毒性及び保健衛生上の危害が生じるおそれの存在は、厚労相の指定と別個の独立した要件ではなく、厚労相の指定判断の内容と解するべきであるとしている。

 確かに、条文の文言を単純に読めばこのような理解はあり得なくはない。しかし、薬機法の目的が医薬品等の有効性及び安全性の確保のために必要な規制を行うことや指定薬物に対する規制を講じることを通じて保健衛生の向上を図る点にある(薬機法1条)ことや、麻薬などと同等以上の作用がある物質を規制するという、薬機法の下での指定薬物制度の趣旨を踏まえると、指定される物質が精神毒性を有する蓋然性が高く、人体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある物であることは指定の前提条件である。言い換えると、精神毒性を有する蓋然性が高くない物、人体に用いられても保健衛生上の危害が生ずるおそれがない物は指定されてはならないのである。

 さらに、指定に際して、専門家により構成される薬事・食品衛生審議会の意見を聴くことが求められているが、これは、厚労相の指定に瑕疵が生じないよう、言い換えると、精神毒性が高く保健衛生上の危害が生ずるおそれがあるという点に合致しない物質を指定する事態を避ける趣旨であろう。この点からも精神毒性を有する蓋然性の高さと保健衛生上の危害が生ずるおそれがあることは、指定の前提条件であると言える。

 また、罪刑法定主義には、どのような行為を犯罪として処罰の対象とすべきかの判断は、国家が一方的に行うものであってはならず、主権者である国民が議会を通じて決定すべきものであるという民主主義的な意味合いもある。そうすると、指定薬物制度においては、法律による委任の趣旨を逸脱した指定は当然なされてはならず、委任の趣旨を逸脱した、すなわち、精神毒性を有する蓋然性が高くない物、、人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがない物を指定した場合、指定は無効とされなければならない。刑事事件の判決に際して、法律による委任の趣旨を逸脱した省令を無効とした最高裁判決もある[ 最判昭和38年12月24日判時359号63頁。]。上記最判平成24年12月7日刑集66巻12号1337頁および最判平成24年12月7日刑集66巻12号1722頁においても、国家公務員法102条1項の「政治的行為」は、「公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが、・・・(中略)・・・実質的に認められるものを指し、同項はそのような行為の類型の具体的な定めを人事院規則に委任したものと解するのが相当である。そして、その委任に基づいて定められた本規則も、このような同行の委任の範囲内において、公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められる行為の類型を規定したものと解すべきである。」と述べたうえで、「人事院規則14-7(政治的行為)6項7号、13号については、それぞれが定める行為類型に文言上該当する行為であって、公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものを当該各号の禁止の対象となる政治的行為と規定したものと解するのが相当である」としている。

 このように、省令で刑罰規制の対象を明示する際には、法律の委任に基いて、委任の趣旨を踏まえなければならない。これは、罪刑法定主義の民主主義的側面からの要請でもある。そうすると、指定薬物制度においても、法律の委任の趣旨に反する指定は許されず、法律で上述のような定義がなされている以上、精神毒性を有する蓋然性が高いこと、および、保健衛生上の危害を生ずるおそれがあることは、指定の内容ではなく、指定の前提条件である。

 

(5)精神毒性を有する蓋然性について

 指定薬物の定義においては、精神毒性を有する「蓋然性が高く」という文言が用いられている。この点、例えば「おそれ」や「可能性」などの用語を用いることも想定しえたであろうに、あえて「蓋然性」という言葉が条文に用いられているのである。旧薬事法下で指定薬物が導入された当初からこのような定義がなされているのである。

 「蓋然性」という言葉は、おそれや単なる可能性ではなく、確実性を意味する。そうすると、旧薬事法2条14項では精神毒性を有する確実性が高いものを指定薬物として定義していることとなる。

 また、筆者がe-Gov法令検索[ https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0100/]で調べたところ、薬物関連法規で「蓋然性」という言葉が用いられているのは薬機法と同法施行規則のみである。そうなると、なおさら、立法者はあえて「蓋然性」という言葉にこだわったものと理解するのが自然である。立法者は、精神毒性を有する確実性が高い物を規制することを意図して旧薬事法2条14項の条文を制定したと考えられる。

 この点と、上述のような指定薬物制度導入当初の趣旨を踏まえると、簡易・迅速・広範な取り締まりを目的としているからこそ、処罰範囲が広範になり過ぎてはならず、限定する必要があると立法者は考えていたと思われる。すなわち、精神毒性を有する単なるおそれがあるだけでは不十分で、精神毒性を有する蓋然性が高いからこそ可罰性が認められるのである。

そうすると、亜硝酸イソブチルが本当に精神毒性を有する確実性が高いものであると言えないのであれば、指定薬物から外されるべきである。

 

(6)指定薬物制度による規制の対象

①保健衛生上の危害

 薬機法は、保健衛生上の危害を防止するために医薬品等に関する様々な規制を設けている。薬機法が想定する保健衛生上の危害としては、国民の身体・健康等への積極的弊害のみならず、消極的弊害[ 例えば、実際には薬効がない物が薬効があるかのように宣伝・販売されることで、国民がそれを過信してその物質に完全に頼りきってしまった結果、適正な医療を受けることもせず、保健衛生上の危害が生じてしまうような場合が想定される。]も含まれているが、少なくとも指定薬物に関しては、消極的弊害はほとんど想定しえない。(指定薬物を通常の承認された医薬品であるかのように装った広告をするような場合は消極的弊害も問題となりうる。)指定薬物の定義からして、指定薬物制度は、人体に有害であると思われる物を規制しているわけで、指定薬物の規制においては積極的弊害の回避が主たるねらいであって、基本的に、積極的弊害を生ずるおそれのあるものが規制対象とされているはずである。

 また、無資格者による医業類似行為を禁じたあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律の規定が問題となった裁判において、最高裁は、同法で規制される医業類似行為は、「人の健康に害を及ぼすおそれのある行為」でなければならないと判示した[ 最大判昭和35年1月27日刑集14巻1号33頁。]。これは、同法と同じく、国民の健康を守るための法規である薬機法にも通じるところがある[ なお、前掲注(13)の最高裁判決以後の旧薬事法違反に関する刑事裁判においては、国民の健康に対する積極的弊害のみならず、消極的弊害も規制根拠として認められている(例えば、最判昭和57年9月28日刑集36巻8号787頁。)しかし、前述のとおり、指定薬物の規制においては、積極的弊害が問題となる。また、消極的弊害を生じさせうる行為であっても、国民の健康に対する危害との関連性や処罰に値するだけの法益侵害の危険性が必要である(前田雅英「薬事法2条1項にいう『医薬品』の意義」昭和57年度重要判例解説〔ジュリスト臨時増刊792号〕(1983年)175頁以下、村井敏邦「薬事法2条1項2号にいう『医薬品』の意義と憲法31条、21条1項、22条1項」警察研究56巻5号(1985年)58頁以下)。]。

なお、薬機法の医薬品の無許可販売罪は、「業として」販売した場合に罪となる、すなわち反復継続性が必要とされていて、これは、反復継続性がなければ危害を生ずるおそれが非常に低く、処罰に値しないことを意味していると理解しうる[ 無資格者による医療行為は医師法17条で処罰されうるが、同条においても、「業として」行うこと、すなわち反復継続性が要件とされている。これも同様の趣旨であると理解するのが自然である。]。さらに同罪は、公共危険犯であるが、反復継続性がなければ処罰に値するほどの公共の危険は発生しない。無許可販売罪に限らず、保健衛生上の危害の発生・拡大の防止を目的とし、広範かつ早期の介入を予定している薬機法の刑罰規定の多くは公共危険犯であり、同様のことが言える。このように考えると、薬機法で処罰の対象となる行為が生じさせうる「保健衛生上の危害」がある一定程度に達していることが必要であり、「保健衛生上の危害を生ずるおそれ」も単なるおそれではなく、ある程度高いおそれが広範囲に生じるおそれがあることが必要なのである。

 これは、指定薬物でも同様であろう。指定薬物導入当初の制度趣旨や、指定薬物に関する規制が抽象的危険犯・公共危険犯であること、輸入するだけでも最大で懲役10年という非常に重い量刑が予定されていることを踏まえるとなおさらそうである。

 以上より、指定薬物の定義の「保健衛生上の危害」という文言も限定的に解釈されなければならず、保健衛生上の危害が生ずるおそれがある程度高く、かつ、広範囲に危害が生ずるおそれがなけれならないものと解すべきである。

 なお、このように、当該法規がどのような対象を規制しようとしているかを読み取ろうとする手法は、最判平成19年9月18日刑集61巻6号601頁にも読み取ることができる。

 

②薬機法の下での指定薬物制度の射程

 指定薬物については、輸入するだけでも最大で懲役10年という非常に厳しい制裁が予定されている。罪刑均衡の観点からすると、輸入するだけでも懲役10年もの刑が科されるような物とは、相当危険な物のはずである。そうでなければ、このような関税法の規定は比例原則に反し違憲とされるはずである。猿払事件最高裁判決[ 最大判昭和49年11月6日刑集28巻9号393頁。]においても、「およそ刑罰は、国権の作用による最も峻厳な制裁であるから、特に基本的人権に関連する事項につき罰則を設けるには、慎重な考慮を必要とすることはいうまでもなく、刑罰規定が罪刑の均衡その他種々の観点からして著しく不合理なものであつて、とうてい許容し難いものであるときは、法益の性質、行為の態様・結果、刑罰を必要とする理由、刑罰を法定することによりもたらされる積極的・消極的な効果・影響などの諸々の要因を考慮しつつ、国民の法意識の反映として、国民の代表機関である国会により、歴史的、現実的な社会的基盤に立つて具体的に決定されるものであり、その法定刑は、違反行為が帯びる違法性の大小を考慮して定められるべきものである。」と判示されている。

上述の全ての内容を踏まえると、薬機法の下での指定薬物制度の規制対象となる物は、麻薬や覚せい剤と同等程度の危険性を有する物質に限られると解すべきである。

 

(7)小括

 以上より、薬機法の下での指定薬物の規制においては、麻薬や覚せい剤と同等程度の危険性を有する物質を規制しているのであり、亜硝酸イソブチルがその程度の危険性を有していなければ指定薬物から外すべきであり、規制対象としてはならないのである。

 この点について十分な検討を行わなかった原審判決は不当というよりほかなく、また、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の大原則から逸脱したものである。


3.おわりに  

 規制当局が過剰な規制を行うことで国民の権利・自由が害される事態を防ぐために規制の妥当性・合理性を審査することは、裁判所の責務である。弁護人による控訴趣意書において、伊方発電所原子炉設置許可処分取消訴訟最高裁判決[ 最判平成4年10月29日民集46巻7号1174頁。]の判旨を引用しつつ述べられているとおり、「『疑わしきは被告人の利益に』の大原則がある刑事裁判においては、なおさら、行政の判断・作用が適切であったかをより丁寧に見るべきであり、専門訴訟であることを理由に行政の判断を事後追認すべきではなく、精神毒性・保健衛生上の危害の存否を検察官自らが主体的に主張・立証し,裁判所はその主張・立証を積極的に精査する義務を負うというべきである」[ 控訴趣意書6頁。]。高度の専門性を必要とする判断であるという理由で裁判所が判断を回避し、行政の判断を追認してしまうのであれば、裁判所の存在意義が疑われる。

 なお、原判決では、亜硝酸イソブチルよりも危険性の高い酒やたばこが成人には禁止されていない理由として、社会的に受容されてきた歴史があることなど、文化的背景を挙げている。そうだとすれば、酒やたばこと同程度ではないにせよ、ラッシュにも文化的背景があるのであれば、酒やたばこと比較して危険性が著しく低い亜硝酸イソブチルも禁止すべきではないはずである。ラッシュは、性行為時に使用することが多く、アロマオイルやお香などをたくことでリラックス効果を覚える者もいるように、ラッシュによってリラックス効果を感じる者もいる。このように、酒やたばこ程ではないかもしれないが、ラッシュにも一定の嗜好品的な価値はある。

 法は、私たちの行動を制約する性質の強いルールであるが、その究極的な目的は、誰もが幸福に生きることのできる社会を実現することにある。そのための法理論・法解釈・法適用を打ち出していくことが法学研究者であれ、法曹であれ、法律専門職に就いている私達の使命である。社会から抑圧されがちな少数派の人々の権利や利益が適切に守られ、誰もが幸せに暮らせる社会を実現させることも、法律専門職に就いている我々の重大な責務である。

 近時、タトゥーの彫り師が医師法の無資格医業罪(医師法17条)で摘発された事件があった。この摘発は、罪刑法定主義上非常に問題がある、非常に無理のある摘発であり、社会から大きな注目を浴びた。確かに、日本においては、タトゥー(入れ墨)=反社会的勢力に属する者がするものといったような風潮がなおもあり、タトゥーに嫌悪感を抱く者も一定程度いる。公共の場ではそうした人へ配慮するようなマナーは必要であるが、一方で、タトゥーを愛好している者も少数派だとしても日本に居るのは事実である。タトゥーは社会的にイメージが悪いものだから摘発されて良い、少数派の人々の利益・価値観を否定して良い、そのような社会になりかねないと思われる事態であった。一審の大阪地裁は、タトゥー施術行為は医業の中核をなす医行為に当たると判断して、不当な摘発を追認した。しかし、控訴審の大阪高裁、そして最高裁は、いみじくも、タトゥー施術行為の医行為該当性を否定し、被告人を無罪とした。最高裁決定[ 最二小決令和2年9月16日。]の中で、草野耕一裁判官が補足意見として大要以下のように述べているのは注目に値する。

 

 「タトゥーを身体に施すことは古来我が国の習俗として行われてきたことである。もとよりこれを反道徳的な自傷行為と考える者もおり、同時に、一部の反社会的勢力が自らの存在を誇示するための 手段としてタトゥーを利用してきたことも事実である。しかしながら、他方において、タトゥーに美術的価値や一定の信条ないし情念を象徴する意義を認める者もおり、さらに、昨今では、海外のスポーツ選手等の中にタトゥーを好む者がいることなどに触発されて新たにタトゥーの施術を求める者も少なくない。このような状況 を踏まえて考えると、公共的空間においてタトゥーを露出することの可否について議論を深めるべき余地はあるとしても、タトゥーの施術に対する需要そのものを否定すべき理由はない。以上の点に鑑みれば」、タトゥー施術行為の医行為該当性を認める解釈は、「タトゥー施術行為に対する需要が満たされることのない社会を強制的に作出しもって国民が享受し得る福利の最大化を妨げるものであるといわざるを得ない。」

 

 ラッシュも嗜好品のような物として一定の文化的意味合いがある。一部の人々の価値観・福利が脅かされる事態であるという点は、タトゥー事件でも本件でも共通している。しかし、タトゥー事件では、本当にそうした事態になることを、裁判所が良識ある判断で防いで下さったと言える。筆者は、裁判所にはこのような良識があることを実感しており、また、本件でもそれが発揮されると信じている。

 御庁の適切な判断が期待される。記事件について、以下のとおり意見を上申する。


【横浜】ニトライト裁判とも控訴審へ

【横浜】ニトライト裁判も控訴に向けて準備中です。2021年3月15日までに控訴趣意書を提出しましたが、公判日はまだ未通達です。


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    名義 ラッシュコントロール