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【千葉】ラッシュ裁判最終弁論2-指定薬物の要件を満たさないこと

ラッシュ(亜硝酸イソブチル)を海外から個人輸入しようとして、医薬品医療機器等法並びに関税法違反として起訴され、その罪状について争われている【千葉】「ラッシュ裁判」の公判論告弁論が、2020(令和2)年3月9日に開かれ、求刑は「懲役1年6月」、弁護人は「無罪」を主張しました。

その概要は以下で報告しました。

  🔊3月9日公判論告弁論報告

 

弁護人最終弁論は、本裁判の主張の根幹となりますので、何回かに分けて掲載します。

今回は、「指定薬物の要件を満たさないこと」の部分です。

🔊【千葉】ラッシュ裁判最終弁論1-本件で問われているもの

🔊【千葉】ラッシュ裁判最終弁論3-審議会と厚労大臣の指定について

🔊【千葉】ラッシュ裁判最終弁論4-関税法改正について


第2 被告人の本件行為について

以下では、被告人の本件行為が罪に問われるべきではないことを述べる。

1 被告人について

 被告人の行為を論じる前に、被告人がどういう人物であるかについて簡単に述べることとする。

 (略―被告人の職歴など)被告人は、市民のことを想う公務員であり、各種の文化活動に熱心に取り組む普通の市民であった。被告人の亜硝酸イソブチルの使用が公務員としての職務や市民生活に悪影響を与えることは全くなかった。

 

2 本件行為時における被告人の認識

 被告人は2015年12月及び2016年1月に亜硝酸イソブチルを輸入した。当時の被告人の認識としては、亜硝酸イソブチルを国内で使用・所持することは禁止されていると思っていたが、国外から輸入することについてはそれが禁止されているとは明確に理解していなかった。そのような矢先に2015年12月に、医薬品を輸入する代行業者のサイトをみたところ、国内の法律に触れることはないとの記載があったため、被告人は輸入することは許されるのだと考え、輸入行為に至ったものである。今翻って考えてみると、使用所持が禁止されていることから、輸入も禁止されることに当然に気づくはずであるが、少なくとも、当時の被告人の認識としては、違法であるとの認識は明確にはなかったのである(被告人質問📝)。

 

3 医薬品医療機器等法及び関税法の解釈に関する弁護人の主張の要旨

 弁護人は、平成19年2月28日に、厚労大臣が亜硝酸イソブチルを「指定薬物」として指定したことについて、①「中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用(当該作用の維持又は強化の作用 を含む。以下「精神毒性」という。)を有する蓋然性が高いこと」(以下単に「精神毒性」と呼ぶ。)に該当しないのに指定したこと、②「人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある物」(以下単に「保健衛生上の危害」と呼ぶ)には該当しないのに指定したこと、③指定にあたって、薬事・食品衛生審議会の意見を聴いたとはいえないこと、④厚生労働大臣の指定処分は裁量権の逸脱濫用にあたること、また、⑤平成27年3月31日に関税法上の改正がされた際、亜硝酸イソブチルを指定薬物から外すべきであったことをそれぞれ主張する。

 以下、それぞれについて詳述する。  

 

4 亜硝酸イソブチルが「指定薬物」の要件を満たさないこと(上記3①②)

 医薬品医療機器等法2条15項は、指定薬物を「中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用(当該作用の維持又は強化の作用を含む。以下「精神毒性」という。)を有する蓋然性が高く、かつ、人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある物(略)として、厚生労働大臣が薬事・食品衛生審議会の意見を聴いて指定するものをいう」と規定している。

 亜硝酸イソブチルは、形式的に医薬品医療機器等法の「指定薬物」に指定されているとしても、実際には上記条文の「精神毒性」「保健衛生上の危害」のいずれの要件も満たさないことから「指定薬物」には該当しないものである。

 

(1) 各要件の解釈について

 下記ア~ウの理由より、医薬品医療機器等法の定める指定薬物の要件のうち、「精神毒性」の内容である「中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用」には軽微なものは含まれず、中枢神経系への作用の結果、実際に健康被害が生じるような程度のものであることが要求されると解釈すべきであり、また、「保健衛生上の危害が発生するおそれ」については、人体又は社会に対して一定程度以上の害悪を発生させるおそれがある場合と解釈すべきである。

 

ア 指定薬物制度は提言に沿って解釈されるべきであること

 厚生労働省の「脱法ドラッグ対策のあり方に関する検討会」(以下「検討会」という。)の平成17年11月25日付けの提言「違法ドラッグ(いわゆる脱法ドラッグ)対策のあり方について」(弁9号証。以下「提言」という。📝②)においては「麻薬又は向精神薬と同様の有害性が立証された物質については麻薬等として指定し、厳しい取り締まりを行うべき」とされているが、他方、「現時点で麻薬相当の有害性が立証されたといえない違法ドラッグについて、販売等を予定しない個人的な使用のための所持等までも規制することは、有害性の程度に応じた規制の均衡という観点から、基本的に困難ではないかとの指摘がある」との意見が記載されている。

 この検討会の提言は、旧薬事法の改正と指定薬物制度の導入につながったものであり、江原証人も、指定薬物制度は「提言を踏まえて」当時の薬事法に導入された(江原15頁5行目📝③)、提言以外に公式な答申などは存在していない(同15頁8行目)と証言している。

 そうすると、指定薬物は、本来「麻薬又は向精神薬と同様の有害性が立証された物質」であることが前提であったということになり、それ以外の基準に基づき指定薬物を指定することは考えられていなかったということになる。法律の制定及び改廃について、最終的な責任は国会にあるにせよ、国会議員が専門的知識を有しない内容について、その分野の専門家たちが議論した結果出された答申は、立法をするうえで最も重視されるべきものの一つであり、その一部または全部を排斥すべきであるとする合理的な理由がない限り、国会議員は、当該答申の趣旨を踏まえて法律を制定ないし改廃するのが通例であり、当該答申は制定あるいは改廃された法律を解釈する際にも重視されるべきである。本件においては、「提言」がこの答申に該当するものであり、法律の要件を解釈する際にも提言の内容が立法趣旨を表すものとして重視されなければならない。

 「提言」(弁9号証)によれば、違法ドラッグの規制を行うべき背景として、指定薬物制度制定直前の時期の違法ドラッグの現状として、青少年を中心に違法ドラッグの乱用が拡大しているのに伴い、違法ドラッグの過量摂取や数種類の違法ドラッグの併用によるものと疑われる中毒等の健康被害や事故(死亡例を含む。)が発生しており、また、違法ドラッグを通じて薬物乱用に対する罪悪感や抵抗感が薄れる、あるいは、より強い刺激を求める欲求が生じることで、麻薬や覚せい剤等へのゲートウェイ(入り口)となる危険性が高くなっているということが指摘されている(2頁)。また、ここで対象とされている違法ドラッグは上述した現状を踏まえて「実際に依存性等を有するか否かによらず、……できる限り幅広くとらえて乱用対策のあり方につき検討を行うため、検討対象を『麻薬又は向精神薬には指定されておらず、麻薬又は向精神薬と類似の有害性を有することが疑われる物質(略)であって、専ら人に乱用させることを目的として製造、販売等がされるもの』とした」(2頁)とされている。また、指定薬物制度を導入してから指定薬物部会で配布されている資料によれば、違法ドラッグを「乱用による健康被害、麻薬等の乱用へのゲートウェードラッグ(入門薬)となるおそれ」があるもの(甲30号証の参考2)としている)。ここでも指定薬物制度がターゲットにしている対象薬物は高度な有害性を有することが前提となっていることがわかる。

 そうだとすれば、提言(弁9号証)を踏まえて制定された「指定薬物」も、この提言の趣旨を踏まえて解釈すべきである。

 具体的には、「精神毒性」の内容である「中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用」には軽微なものは含まれず、中枢神経系へ麻薬又は向精神薬と類似する程度の作用をもたらすようなものであることが要求されると解釈すべきであり、また、「保健衛生上の危害が発生するおそれがある物」とは、人体又は社会に対して麻薬又は向精神薬と類似する程度の重大な危害を発生させるおそれ、具体的には提言にあげられているような中毒等の健康被害や死亡例を含む事故等を引き起こすおそれがある物と解釈すべきである。

 なお、医薬品医療機器等法2条15項の「中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用(当該作用の維持又は強化の作用を含む。)」の後に、「以下「精神毒性」という。」という文言が挿入されたのは、平成26年11月27日の改正によるものであり、平成19年段階では、この文言はなかった。「中枢神経系への各種作用」が規定されている文章の後に、わざわざ「精神毒性」という文言を挿入すること自体、「中枢神経系への作用」が麻薬又は向精神薬と類似する程度の作用を指すことをあらためて確認する趣旨であったと解されるのである。

 

イ halmfuluse(人体に対して有害であること)を薬物規制の要件とすることが相当であること

 薬物をどのような趣旨で規制するかについては、本来当該薬物の使用法や使用目的として想定されている用法や目的以外で摂取する場合(abuse)を規制することと、当該薬物を摂取することで人体に有害な作用がもたらされる場合(halmfuluse)を規制することの2つが考えられる。abuseもhalmfuluseもどちらも日本語では「乱用」(あるいは「濫用」)という訳語が当てられることが多いが、海外においては、目的外使用と人体に有害となる使用は明確に分けられる概念であり、正確には、abuseは目的外使用、halmfuluseは人体への有害な使用と訳すべきである(梅野31頁16行目、4頁17行目、6頁1行目📝)。薬物依存症者の治療だけでなく、薬事行政にも携わってきた梅野医師の証言によれば、あるべき薬物規制とは、abuseに該当する場合を規制するのではなく、halmfuluseに該当する場合を規制すべきであると考えるのが相当である(梅野4頁17行目、6頁下から7行目、6頁最終行目)。

 実際に本件の指定薬物制度を導入する際にも、関係者が、このhalmfuluseに該当する場合を規制すべきであるという考えに基づき議論していることがわかる。上記検討会の第1回議事録(弁66号証📝)によると(13頁)、板倉委員が「精神に対する毒性というのは、非常にあいまいでして、どういったことを精神に対する毒性というのかがよくわかりません」と質問したのに対して、佐藤座長が「覚せい剤は依存性が強い。依存を起こすから、延々と乱用する。そのうちに、次第に幻覚や妄想を起こして現実認識が非常に悪くなる。誤った現実認識のもとで行動をとるものですから、それが犯罪とか反社会的な行動に結びつく。したがって、依存という薬理作用と、もう一つは長期の乱用で正常な精神機能が損なわれて現実検討ができなくなる」と回答している。これらのやり取りからわかるのは、当時我が国の薬事行政に関わっていた専門家達が、薬物を規制すべき理由は、正常な精神機能が損なわれ、その結果、人体又は社会に対して一定程度の害悪を引き起こすことを防止することにある、すなわち上述したがhalmfuluseに該当する場合を規制すべきであるということを当然の前提としていたことである。

 また、当時の厚労省の担当者であった江原証人も、乱用の可能性があって、害悪もあって、社会的受容性もなく、他の産業への影響もないという薬物を指定薬物の対象にしていたと証言しており(江原69頁20行目)、指定薬物の対象には「害悪」があることが当然の前提となっていたことを認めている。

 結局、指定薬物とは、当該薬物を使用することが人体への有害な使用となるような薬物を対象とすべきであり、「精神毒性」や「保健衛生上の危害」についてもそのような考え方により解釈がなされるべきである。

 

ウ 処罰の均衡の見地から限定的に解釈すべきこと

 憲法31条は、刑罰について謙抑性や均衡性を要求している。提言(弁9号証)にも「違法ドラッグ対策の検討においては、特に、次の2つの原則に留意すべきとされた」「〇刑罰法規の適正:刑罰法規はその内容においても適正でなければならない。当該行為を犯罪とする合理的根拠があり、かつ、刑罰はその犯罪に均衡した適正なものでなければならない(規制の均衡)」との記述があり(9頁)、可及的に刑罰適用は控え、刑罰を科すのであれば、それに見合った違法性を具備した構成要件であることを要求している。

 このような原理・原則を踏まえれば、「精神毒性」についても「保健衛生上の危害の発生のおそれがある物」の範囲についても、限定的に解釈することが求められる。

 例えば、中枢神経系に「興奮あるいは抑制」という意味で一定の影響を与える物質は世の中に多数存在するので(アルコール、タバコに含まれるニコチン、コーヒー・紅茶といった嗜好品に含まれるカフェイン、砂糖やチョコレートといった依存性がある物質以外にもギャンブル、買い物、ゲーム、インターネット利用等の行為も中枢神経に興奮の作用をもたらすことが知られている)、中枢神経系に対し、単に「興奮若しくは抑制」をもたらす程度の物質を規制対象であると考えると、あまりにも多くの物質が規制対象となりかねない。そのような不都合を防止するには、「興奮若しくは抑制の作用」は、それによりある程度重大な影響、具体的には妄想ないし幻覚等の精神作用が生じる程度のものでなければならないと解すべきである。ちなみに「精神毒性」という用語は、精神科医の間では、単に中枢神経に何らかの作用があるという点に止まらず、幻覚妄想を引き起こすような作用であるという意味で使用されている(梅野8頁)。

  そうすると、医薬品医療機器等法の「精神毒性」の要件のうち、「興奮若しくは抑制の作用」という部分は、それだけでは刑罰法規としての明確性を欠く過度で広範なものであり、それ自体無効であると解される。仮に、このままの規定で有効であるとするには、「興奮若しくは抑制の作用」について、精神科医が一般に使用するように中枢神経系に幻覚妄想を引き起こす程度の作用と限定的に解釈する必要がある。

 また、上述したように中枢神経系に「興奮あるいは抑制」という意味で一定の影響を与えるとされているコーヒー・紅茶といった嗜好品に含まれるカフェイン、砂糖やチョコレートについても、多量に服用すると不眠や肥満の原因になるなど、人の健康に一定程度の影響を与えるものである。この程度の影響が生じることを「保健衛生上の危害の発生」と考えると、あまりにも多くの物質が規制対象となりかねないのである。ここでも、「保健衛生上の危害」とは、健康被害中毒等の健康被害や死亡例を含む事故に匹敵するような人体又は社会に対する一定程度以上の害悪の発生と限定的に解釈する必要がある。

 あまりに広範な薬物・物質が規制の対象となりうると考えることは、人体又は社会に有害な違法ドラッグを適切に処罰しようとする指定薬物制度の制度趣旨に悖ることになるし、「刑罰法規の適正」という原則にも明確に違背するものであり、このようなおそれを回避するには、「指定薬物」の要件である「精神毒性」と「保健衛生上の危害」を厳格に解釈するべきなのである。

 

エ 小括

 以上のア~ウの理由からすれば、中枢神経系に軽微な興奮若しくは抑制の作用しかもたらさないものは「精神毒性」があるということはできず、また、人体や社会に対して軽微な影響しかもたらさないものは「保健衛生上の危害のおそれがある物」には該当しないと解すべきである。

 

(2) 亜硝酸イソブチルは、「中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用を有する蓋然性が高い」ものではないこと

 亜硝酸イソブチルが、人の中枢神経系に作用するかどうか、与えるとしてもその程度がどのようなものかについては、完全に解明されているわけではない。

 仮に、亜硝酸イソブチルが中枢神経系に一定の作用をあたえるとしても、それはこれまで述べたような医薬品医療機器等法が定める「興奮若しくは抑制又は幻覚の作用」とはいえないレベルの微弱なものである。

 韓国の研究機関における各種論文(甲33号以下📝)は、一定の動物実験の結果から亜硝酸イソブチルが中枢神経に作用するという結論を記載している。そもそもこの韓国論文自体にどの程度の信用性があるかは問題であるが(梅野10頁)、仮にそれが一定の信用性を有するとしても、同論文からわかることは、亜硝酸イソブチルが中枢神経に一定の作用をもたらすということだけであり、それが幻覚妄想を引き起こすなど「麻薬又は向精神薬と同様の有害性」があるということは全く証明されていないのである。

 ある薬物が、幻覚妄想を引き起こすなど「麻薬又は向精神薬と同様の有害性」があるかどうかについては、その薬物の薬理作用の分析からだけでなく、それが社会において実際にどのような実害を発生させているか、亜硝酸イソブチルを使用した者が自らの意思で、あるいは自らの意思に基づかずに医療機関等で治療を受けているかどうかという点からも一定の推測ができると解される。前者は、「人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある」という点とも密接に関係するものであるので、社会において実害が発生していないことはそこで詳述するが、社会において実害が発生していないこと自体、亜硝酸イソブチルについては、幻覚妄想を引き起こすなど「麻薬又は向精神薬と同様の有害性」がないことを示しているのである。後者についても、精神科病院や相談機関において全く治療の対象として現れていないこと自体(梅野証言、弁10ないし16号証 精神科病院悉皆調査📝)、亜硝酸イソブチルについて、「麻薬又は向精神薬と同様の有害性」がないことを示しているのである。

 

(3) 亜硝酸イソブチルは人体又は社会に対して一定程度の重篤かつ持続的な害悪を発生させるおそれがないこと

ア 亜硝酸イソブチルの人体に対する作用はわずか数十秒であり、人体の生命身体に対する悪影響は少ないこと

(ア) 亜硝酸イソブチルの主な薬理作用は、「血管を拡張させて気分を高める」ものである(梅野28頁17行目)(弁1号証(訳文)2頁📝)。そして、効果は「数十秒」しか持続しない(被告人質問6頁5行目、梅野1頁下から2行目、梅野28頁17行目)。効果がそれ以上、持続することはなく、運転や日常生活を送るに支障は生じない(被告人質問5頁下から3行目)。

 亜硝酸イソブチルが人体に対する危険が少ないことは、LANCET論文(弁21~22号証📝)からも裏付けられる。すなわち、同論文では、身体的被害、依存性、社会的被害の3つの要素から、様々な薬物の危険性を比べているところ、亜硝酸イソブチル(ラッシュ)はタバコやアルコールよりもその危険性ははるかに低く、亜硝酸イソブチル(ラッシュ)の危険性がかなり低位であると明らかになっている。LANCET論文は雑誌の影響度を測るインパクトファクターも高く、学術的価値も高い(梅野12頁8行目、同13頁10行目、同13頁16行目)。

 また、「地域においてHIV陽性者と薬物使用者を支援する支援する研究班」(平成29年度厚生労働科学研究費補助金 エイズ対策政策研究事業)は、男性とセックスを行う男性(MSM)を対象に、「LASH調査」(これは「Love Life and Sexual Health」の略で薬物のラッシュとは関係がない)を行った(弁17ないし19号証📝)ところ、この調査における有効回答者数6921人中薬25.4%にあたる1756人が何らかのドラッグ・薬物を使用したと回答しており、その中の約90%の者が亜硝酸イソブチルを含むラッシュを使用したことがあると回答している。同じ調査で、約14%の者が覚せい剤を使用したことがあると回答していることからすると、ラッシュを使用した経験がある者の数は相当多数であることが窺えるが、一方で、ラッシュの使用者が相当多数であるにもかかわらず、国内ではラッシュの使用によって治療を必要とする健康被害は全く報告されていない。上記LASH調査においても、ラッシュの使用経験者1587人のうち8割近くの1232人が使用は1年以上前であると回答しており、ラッシュに対する依存といった事態が発生していないことが窺われる。

 他にも、亜硝酸イソブチルを単独で摂取しても服薬アドヒアランス(服薬の飲み忘れ)が生じないという調査結果(弁48、49号証📝)も報告されている。

 これらからすれば、亜硝酸イソブチルが人体へ重篤又は持続的な健康被害を生じさせないことは明らかであり、亜硝酸イソブチルは人体に対して一定程度の重篤かつ持続的な害悪を発生させるおそれはない。

 なお、甲30号証の資料3📝によれば「頭痛、めまい、運動失調、失神、鎮静作用…」などが生ずると記載があるが、仮にそのような症状が発生するとしても、人体に対するこれらの影響は、持続的でもないし、重篤でもないことから指定薬物の要件を満たさない。

 

(イ) 他方、厚労省は、平成18年1月27日、外務省に対して、アメリカの亜硝酸イソブチルに関する規制状況の調査依頼を行っている。その回答によれば、亜硝酸イソブチルは1988年ごろから禁制となっていること(甲47別紙②-3📝)、「Rush等はこれまで乱用されており、現在もそれは続いている。連邦議会がRush等を禁止した理由は吸入による乱用」とされており、アメリカにおける亜硝酸イソブチルの乱用(もっともこの「乱用」の言葉の意味は明らかではない)実態が報告されるとともにアメリカで規制されていることが述べられている。

 しかし、上記証拠には、ラッシュが人体に害悪が及ぼすかどうかについては一切言及されていない。アメリカでの規制は「参考にはなるかもしれ」ないだけであり、日本における即規制という結論には結びつかない(江原45頁1行目、45頁24行目、46頁3行目)。実際にアメリカがどういう根拠に基づいて、どういう理由で規制したのかの調査をした形跡・記録はなく(江原46頁7行目)、薬物部会の委員にアメリカの規制状況に関する資料を送った形跡もない。

 アメリカにおいて規制されているという事実だけでは、「保健衛生上の危害を発生させるおそれ」があるとは認められないのである。

 

(ウ) また、甲47別紙①の2頁(DP-081)📝では亜硝酸イソブチルを使用したことによる死亡事例が報告されている。この事実をもってして、亜硝酸イソブチルに「保健衛生上の危害を発生させるおそれ」があると認めることも早計である。

 本事案は「誤飲(甲47別添資料①222頁)」によるものであるが、亜硝酸イソブチルは「通常は、蒸気を吸引するという形で使用する(江原22頁3行目)」ことが多いところ、それをせずに「経口(江原22頁6行目)」して服用した事案である。そのうえ、アルコールとバイアグラと併用して(江原22頁14行目)摂取したものであり、「一般的な用法ではない(江原23頁11行目)」摂取事案である。

 指定薬物となっていないバイアグラも本来予定されていない用法で人体に含めば当然に人体に危険となる。本来予定されていない用法でバイアグラを服用したことで、死亡した例は枚挙に暇がない。他にも、頭痛薬であるバファリンを大量に摂取したことで死亡(又は未遂)になった例、醤油を大量に摂取したことで死亡した例も存在している。ある薬物や物質が、本来予定されていない用法で体内に摂取された場合、人体に対して何等か有害な結果が生ずるのは一般的にありうることであり、そのような本来予定されていない用法での使用によって健康被害等が発生したとしても、それが当該薬物ないし物質が人体に有害であるということにはならないことは当然である。

 本来予定されていない用法で死亡した事例があったことは(甲47別紙①の2頁)、亜硝酸イソブチルに「保健衛生上の危害を発生させるおそれ」があることの裏付けにはならないというべきである。

 

(エ) ACMD(弁1)4頁にはラッシュ(亜硝酸イソブチル)を使用したことによる死亡事故の記載、5頁には視覚障害や失明を引き起こすという報告がある。しかし、いずれの報告でも、用法・用量の記述はない。前述したようにバイアグラや頭痛薬であっても、用法・用量を超えて摂取すれば、人体に対する危険は生じるのである。ACMDは、このように死亡事故の報告を確認していても、なお亜硝酸イソブチルを「精神作用物質法で定義するところの「精神作用物質」には該当しないと主張した答申であ(弁1(訳文)1頁」るから、ACMD自身が、亜硝酸イソブチルは、通常の用法を遵守している限り、法律による規制が必要なほどの人体に対する害悪を発生させないものと判断しているのである。

 

イ 亜硝酸イソブチルを使用したことによる自傷他害事例は報告されていないこと

 また、亜硝酸イソブチルを摂取することによって自分の人体を傷つけたり、他人の害するような行為に及んだ例も報告されていない。長年、臨床の現場で薬物治療に携わっている梅野医師も(梅野16頁13行目)、自傷した患者(梅野16頁13行目)、他人の生命又は身体を傷つけた患者(梅野25頁8行目)を見たことがないと証言する。他にも意識が混濁するなどして誤運転をした、妄想によって人を傷つけた例なども存在しない。そもそも、長年にわたり薬物依存症者の治療にあたってきた医師自体が、ラッシュを使用して、治療を求める患者に会ったことも無いのである(梅野2頁8行目、16頁20行目)。

 1987年からほぼ隔年において、国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所の薬物依存研究部は「精神科医療施設における薬物関連精神疾患の実態を把握する悉皆調査」(厚生労働省科研費補助金事業)(弁10ないし16号証)を行っているところ、これらの報告書を読んでも、主な使用薬物について、ラッシュ(亜硝酸イソブチル)として答えている例はほぼ見当たらず、亜硝酸イソブチルを使用することによって問題になっている形跡を認めることはできない(江原25頁16行目も参照)。

 

ウ 亜硝酸イソブチルはゲートウェイドラッグであると断定することはできない

 亜硝酸イソブチルはゲートウェイドラッグであると断定することはできない。ゲートウェイドラッグとは、「麻薬や覚せい剤等のより人体又は社会に対して害悪の強い薬物への入門薬」を意味するところ(弁9号証の2頁)、他の薬物へ移行する可能性がある薬物を規制の対象にするという考えである。

 しかしながら、そもそもゲートウェイドラッグ論というのは曖昧模糊としたものであり、科学的に実証された考えではない。ゲートウェイドラッグ論は、啓蒙、教育、周知の観点から有用な考えにすぎないのである(梅野21頁~23頁)。

 そして、仮にゲートウェイドラッグ論なるものがあったとしても、亜硝酸イソブチルがゲートウェイドラッグドラッグであるとする科学的エビデンスは存在しない。主に男性とセックスを行う男性に対して行ったアンケートにおいて、そのうちの9割に及ぶ人がラッシュを使用したと答え(弁19号証の25頁。71のEによれば、ラッシュは90.4パーセントの人が使用したことがあると答えている)、他方で、回答者のうち14パーセント程度の人が覚せい剤を使用したことがあると答えた(弁19号証の26頁のI。梅野21頁下から6行目)。これらの結果をみても、ラッシュを使用している人がこれほどまでに多いにもかかわらず、覚せい剤に移行している人は多くなく、ラッシュ使用によって覚せい剤に移行するという因果関係を見出すことはできない(梅野21頁17行目、26頁下から4行目、29頁下から4行目)。回答者のなかで、9割にも及ぶ人が使用したことがあるのであって、ラッシュを使用したことが覚せい剤に移行したという推測は成り立たない。

 しかも、松本医師の論文(弁52・53号証。弁53号証の14頁の「結論」📝)や、厚生労働科学研究費補助金を使った研究成果(弁50・51号証📝)には、むしろ、亜硝酸イソブチルを禁制化したことによって、より入手が容易な覚せい剤等へ移行した傾向すら指摘されており(被告人質問17頁下から2行目も同旨)、亜硝酸イソブチルがゲートウェイドラッグではないことは明らかである。

 亜硝酸イソブチルがゲートウェイドラッグであることを理由に、「保健衛生上の危害を発生させるおそれがある」とすることはできない。

 

エ 乱用されていることは保健衛生上の危害を満たさないこと

 平成19年当時の厚労省の担当者は、亜硝酸イソブチルが乱用されていたことから、亜硝酸イソブチルが指定薬物の対象になった旨を証言した(江原12頁8行目)。江原氏は、乱用の言葉を「実際の用途以外の目的で使う」すなわち、目的外使用という意味として用いているようであり(江原53頁9行目)、江原氏は、上述したabuseとharmfuluseの二つの概念のうち、abuseの意味で捉えていると思われる。

 ゲートウェイドラッグであるとする科学的根拠はなく、人体への健康被害が報告されていない以上、亜硝酸イソブチルを通常予定されている用途以外で広く摂取している実態があったとしても、その使用実態が社会又は人体に対して害悪をもたらすとはいえない。目的外の使用実態があることは、当該薬物に対する漠たる「危険」であるというイメージをもたらし、規制の動機に駆られる。本来予定されていない用法で薬物が広く摂取されている状態は、人体によからぬ影響をもたらすのではないか、社会にとって何か害悪なのではないか、こういった科学的な裏付けがない、茫漠たる先入観を抱かせるが、本来予定されていない用法で使用されているということは、規制の端緒の議論になりこそすれ、それだけで規制の対象とすることは許されない。

 「指定薬物」に該当すれば、刑事罰が科される以上、亜硝酸イソブチルを摂取することで精神毒性をもたらし、かつ、人体又は社会に対する害悪性を具備しなければ、それは「指定薬物」として指定してはならないのである。目的外の使用実態があることのみで「人体又は社会に対して一定程度の重篤かつ持続的な害悪を発生させる恐れがある物」と判断することはできない。指定薬物制度の趣旨は迅速かつ適切な規制を企図するものであるが、亜硝酸イソブチルが害悪であることの裏付けがないにもかかわらず、それを規制の対象とすることは、指定薬物制度の趣旨にも背理する。

 

(4) まとめ

 以上からすれば、「人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある物」は人体又は社会に対して一定程度の重篤かつ持続的な害悪を発生させる恐れがある物のように解釈すべきところ、亜硝酸イソブチルは該当しない。 


参考書証

被告人質問 📝①(調書は未公開)🔊【千葉】ラッシュ裁判紹介記事―弁護士ドットコムニュース

弁9号証「提言「違法ドラッグ(いわゆる脱法ドラッグ)対策のあり方について」」 📝②🔊「脱法ドラッグ対策のあり方に関する検討会」の提言

江原証人の尋問調書📝⓷(調書は未公開)🔊10月9日公判厚労省職員証人尋問

梅野証人の尋問調書📝④(調書は未公開)🔊精神科医から見たラッシュ規制(梅野充)

弁66号証「検討会の第1回議事録」📝🔊「脱法ドラッグ対策のあり方に関する検討会」の提言

甲33号以下「韓国の研究機関における各種論文」📝⑥ 当サイトでは未紹介

弁10ないし16号証「精神科病院悉皆調査」📝ラッシュは精神科医療施設調査で治療対象になっていない

弁1号証「ACMD答申(訳文)」📝🔊イギリスでの規制へ専門家や議員が反論

弁21~22号証「LANCET論文」📝🔊ラッシュの有害性はアルコールやタバコより格段に低い

弁17ないし19号証「LASH調査」📝🔊ラッシュはまだ使用されている?「LASH調査」

弁48、49号証「服薬アドヒアランス調査」📝⑪ 当サイトでは未紹介

甲30号証「資料3」📝🔊指定薬物制度の議論は充分だったか?

甲47別紙②-3「外務省アメリカ規制状況調査依頼」📝 当サイトでは未紹介

甲47別紙①の2頁「誤飲死亡事例報告」📝⑭ 当サイトでは未紹介

弁52・53号証「松本俊彦医師論文」📝🔊8月7日AIDS文化フォーラムin横浜紹介記事ーg‐lad xx 

 

 🔊【千葉】ラッシュ裁判判決の概要


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    名義 ラッシュコントロール

弁論要旨