ラッシュ(亜硝酸イソブチル)を海外から個人輸入しようとして、医薬品医療機器等法並びに関税法違反として起訴され、その罪状について争われている【千葉】「ラッシュ裁判」の公判論告弁論が、2020(令和2)年3月9日に開かれ、求刑は「懲役1年6月」、弁護人は「無罪」を主張しました。
その概要は以下で報告しました。
弁護人最終弁論は、本裁判の主張の根幹となりますので、何回かに分けて掲載します。
今回は、「本件で問われているもの」の部分です。
🔊【千葉】ラッシュ裁判最終弁論2-指定薬物の要件を満たさないこと
🔊【千葉】ラッシュ裁判最終弁論3-審議会と厚労大臣の指定について
2020年12月17日更新
上記被告人に対する頭書事件の弁論の要旨は以下のとおりである。
記
第1 はじめに
1 結論
本件において、被告人は、2015年12月28日及び2016年1月11日に、亜硝酸イソブチルを海外から輸入したことが罪に問われている。弁護人は、被告人が起訴状の公訴事実記載の各行為(以下、被告人の起訴状の公訴事実記載の各輸入行為を一括して「本件行為」という。)を行ったことは争わないが、医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(以下「医薬品医療機器等法」という。)と関税法を適切に解釈すると被告人の行為は罪に問われるべきでなく、被告人は無罪である。
2 本件で問われているもの
(1) 本件は、被告人の本件行為について刑事罰を科すべきかどうかが問題となる刑事裁判であるが、実際には、我が国における薬事行政、特に2005年頃から規制の必要性が議論されたいわゆる脱法ドラッグ(その後「危険ドラッグ」という名称となる。以下では特に断らない限り「危険ドラッグ」の名称を用いる。)に関する対応の是非が問われている。
危険ドラッグに関する規制の是非は、人の精神に悪影響を与える薬物をどのような要件・手法で規制すべきであるかという議論の中で判断されることになるが、危険ドラッグの規制においては、どのようなものを摂取・使用するかという点について人が本来持っている自由(これは憲法13条で保障された幸福追求権の一内容である)との調整や、様々な目的で人が摂取・使用する医薬品、食品、嗜好品その他の物質に関する各種の法規制との整合性などが図られなければならない。
(2) ある時期に我が国の社会で広く使用・摂取される医薬品、食品、嗜好品その他の物質はこれまでに多数存在してきたし、今でも多数存在し、これからも時代の変遷につれて現れてくるものである。その中には、必ずしも安全性が確認されていないものや、場合によっては人の身体に悪影響や危険を与えることが明確にわかっているものも存在する。本来、人は、医薬品やそれに類似するもの、食品、嗜好品やその他の物質について、自分が欲する物を自由に使用・摂取することができるはずであるが、人体に悪影響や危険をもたらすものが自由に使用・摂取できたり、自由に流通するのは人の健康上問題であることから、それらのものについて一定の規制がなされることは当然に認められる。
そこで、国は、国民の安全を確保するため、例えば医薬品については医薬品医療機器等法により医薬品等の基準及び検定制度を導入し、食品や嗜好品については食品安全法等によってその安全性を確保し、その他の物質については、例えば毒物及び劇物取締法で保健衛生上の観点から必要な取締を行うこと等を通じて国民の安全を確保している。また、人の精神に悪影響を与える薬物については、医薬品医療機器等法だけでなく、覚せい剤取締法、大麻取締法、あへん法、麻薬及び向精神薬取締法の各法律で、所持・使用や輸入その他の行為について刑罰による制裁を科するという方法で規制されている。
しかし、これらの規制については、本来人は自分が欲する物を自由に使用・摂取することができるということとの間で一定の緊張関係を孕んでいるものであり、規制の必要性があるから自由に規制できるというものではない。また、上述した各種の法規制は、人体に悪影響や危険をもたらすものについて、一律にその使用や摂取、所持、流通を規制するだけではなく、また、それらの違反に対して刑罰を定めるだけでなく、多種多様な手法による規制を定めている。換言すれば、医薬品やそれに類似するもの、あるいは食品、嗜好品やその他の物質がもたらす悪影響ないし危険から、国民の安全を確保するためには、多種多様な手法によることができるのであり、実際にもそうされているのでる。
その結果、医薬品やそれに類似する用途で使用されるものについては、所定の基準を満たし、検定を受けない限り「医薬品」という名称を使用できないという規制にとどまり、強壮剤、強精剤、精神賦活剤などの使用は、他の法規で禁止される物に該当しない限り一般には禁止されていない。また、食品についても、ふぐのような部位によっては摂取することにより致死的な重大な危険性を持つものであっても、一律に販売や提供が禁止されるのではなく、厚生労働省が定めたフグの種類及び部位以外のものの販売や提供が食品安全法で規制されているに過ぎない。
精神に作用する物質についても、例えばアルコールやニコチンが含まれるタバコについては、未成年者飲酒禁止法や未成年者喫煙禁止法などの法規や、交通事犯においてその摂取が刑罰法規の加重要件となっていたり、各種条例等で規制されるなどの規制にとどまり、一律に使用所持が禁止されているわけではない。
各種の物質に関するこのような規制の手法は、その使用・摂取者が多いか少ないかには関係がない。例えばタバコについては近年健康に対する悪影響が強く主張されることにより、摂取できる場所がどんどん限定的になり、使用者も徐々に減っているが、それでもいかなる場所においても一律使用を禁止するとかそれに対して刑罰を科するといった規制は検討すらされていないのである。
いずれにせよ、このようにして、国は個人の自由の確保と国民の身体の安全の確保という2つの要請のバランスをとっているのである。
薬事行政における薬物の規制もこのように関連法規を含めた国の法規全体との整合性をもってなされなければならない。
(3) 亜硝酸イソブチルは、2007年の旧薬事法(現・医薬品医療機器等法)の改正により、「指定薬物」と指定されることによって、輸入行為に対して刑罰が科せられることとなり、その後数次にわたる改正の中で、所持や使用に対しても刑罰が科せられることになり、関税法の改正により、指定薬物を輸入する行為に対して関税法上も刑罰が科せられることとなった。
医薬品医療機器等法における「指定薬物」は、「中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用(当該作用の維持又は強化の作用を含む。以下「精神毒性」という。)を有する蓋然性が高く、かつ、人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある物(略)として、厚生労働大臣が薬事・食品衛生審議会の意見を聴いて指定するものをいう」(同法2条15項)とされている。
前述したとおり、医薬品やそれに類似するもの、食品、嗜好品やその他の物質について規制が許されるのは、それが人体に悪影響や危険をもたらすからであり、そのような問題点がない、あるいは証明されていないにもかかわらず、自由に規制できるわけではない。医薬品医療機器等法に関して述べれば、ある時点で広く社会で流通あるいは乱用されている薬物(物質)があるとして、そのような実態は規制の対象として検討するきっかけになることはあっても、それだけで規制を正当化する根拠にはなりえないものである(梅野証人の尋問調書4、6頁 📝①)。平成19年当時の厚労省の担当者であった江原証人は、平成19年当時、亜硝酸イソブチルが本来予定されている用途以外で広く使用されているという実態があったがゆえに、亜硝酸イソブチルを指定薬物に指定したと証言したが(尋問調書29頁 📝②)、それが規制を検討するきっかけであったということに止まらず、そのような実態だけで規制が正当化されるという意味であれば、それは明らかに間違った対応である。
したがって、「ある時点で広く社会で流通あるいは乱用されている薬物(物質)」をそれだけの理由でそのまま指定薬物とすることは当然に許されない。医薬品医療機器等法が、前述したように、「中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用を有する蓋然性が高」いという要件と「人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある」という要件を定めているのは、人の身体に対して悪影響ないし危険性があるかどうか、それにより社会に害悪が発生するかどうかをこの要件で判断しようとしているものと解される。
より詳しくは後述するが、前述したような個人の自由と国民の身体の安全の確保のバランスを考慮すると、この2要件の中の「蓋然性が高い」という点や「おそれがある」という評価にわたるような部分はある程度絞り込んで解釈されるべきであり、また、「中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用」については、人の身体に悪影響がある程度の作用であり、「保健衛生上の危害」については、人体又は社会に対する一定程度以上の害悪であると解釈されるべきである。
薬物が本来予定されている用途以外で使われていることは、当該薬物に対する漠とした「危険」なイメージを想起させ、規制を検討する動機にはなるものである。しかし、実際によく検討すると、亜硝酸イソブチルが人体に対して重篤なあるいは持続的に有害な作用をもたらすということは何ら証明されていないのであり、亜硝酸イソブチルを通常の用法で使用したことによる重大な健康被害や事故なども報告されていない。また、亜硝酸イソブチルを使用する者は、確実に他の違法な薬物を使用することになるといったことについての科学的エビデンスも存在しない。亜硝酸イソブチルを規制すべき根拠、指定薬物とする根拠は存在しないのである。
(4) 単に規制の網をかけるかどうかについても、上述したような慎重な判断が必要であると解されるが、医薬品医療機器等法のように違反行為に対して、刑事罰が科される場合においては、刑罰に関する謙抑性の原則、均衡性の原則も機能するため、単に個人の自由を制限する場合以上に、さらに厳格に考えることが要請される。「ある時点で広く社会で流通あるいは乱用されている薬物(物質)」であるから、当然に刑罰の制裁を与えるといった安易な規制は絶対に許されないのである。
(5) 亜硝酸イソブチルを含む亜硝酸エステル類は、日本国内では1980年代から「ラッシュ」という商品名で受容され、主にディスコやクラブなどで陶酔感を高めたり、性的興奮を高めるセックスドラッグとして用いられてきた。(弁70号証「世間話研究」ほか 📝⓷)
ラッシュは、1990年代後半から、最も入手することが容易な、ポピュラーなドラッグとして広まっていった。特にMSM(男性同士で性交を行う男性)の間では、その薬理作用が射精の快感やスムーズな肛門性交を行いやすくすることから、より社会的な需要のあるものとなった。
MSMのラッシュ使用歴率は高く(LASH調査)(弁17ないし19号証 📝④)、2000年代は、厚労省が規制をしようとした麻薬類似物質を扱うドラッグ専門店のみならず、アダルトショップはもとより、繁華街のドン・キホーテのような量販店でも売られていた。それはむしろ、薬理作用からいっても、社会に広がる実態からいっても、マカや精力剤やエナジードリンクなどの強壮剤、強精剤、精神賦活剤と同じようなものとみなされるものであった。多くの人々がラッシュを使用していた時代から相当の年月が経つが、ラッシュの使用によって何らかの健康被害や後遺症に苦しむ人などは全く存在しない。
江原証人は、社会的受容性はなかったと証言するが、上述した実情からすると、「ラッシュ」はある程度社会的に受容されていたといいうるものである。
このような歴史からみると、亜硝酸エステル類はいわゆる「危険ドラッグ」とは別の範疇の薬物であると考えるべきである。厚生労働省が、「指定薬物制度」の規制対象を「麻薬類似物質」や「幻覚植物片」と「亜硝酸エステル類」を別のカテゴリーとして分類していることも、亜硝酸エステル類がいわゆる「危険ドラッグ」とは別の範疇の薬物の薬物であることを前提としているともいえるのである。
第2 被告人の本件行為について 別に紹介予定
第3 最後に
本件における被告人については、亜硝酸イソブチルの輸入行為の是非が問われているだけであるが、本件において問題となった論点は、亜硝酸イソブチルについて、刑罰をもって規制することの是非が問われているものである。この点について、裁判所がどのような判断をくだすかは、被告人だけでなく、医薬品医療機器等法の改正以降、亜硝酸イソブチルの所持・使用等について刑罰を科された多くの被告人たち、あるいは今後も亜硝酸イソブチルの所持・使用・輸入等をする一般国民に重大な影響を与えるものである。
裁判所におかれては、我が国のあるべき薬事行政やそれが国民に与える影響についても十分留意された上で適切な判決をくだされたい。
以 上
参考書証
梅野証人の尋問調書4、6頁 📝①(調書は未公開)🔊精神科医から見たラッシュ規制(梅野充)
江原証人の尋問調書29頁 📝②(調書は未公開)🔊10月9日公判厚労省職員証人尋問
弁70号証「世間話研究」ほか 📝⓷ 🔊ラッシュ規制をめぐる論文紹介
弁17ないし19号証「LASH調査」 📝④ 🔊ラッシュはまだ使用されている?「LASH調査」
僕が違法薬物で逮捕されNHKをクビになった話 [ 塚本 堅一 ]
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